西日本短大付高から1990年にドラフト5位で阪神に入団した新庄剛志。背番号63を着けた男は92年、一気にレギュラーの座をつかんだ。しかし、そこに至るまで道のりは楽ではなかった。新庄チルドレンと同様、野球に打ち込んだ。新庄が球界のメインストリームに躍り出るまでの日々を振り返る。 写真=BBM 
高卒3年目の92年にブレーク。トレードマークは両手にはめる赤いリストバンドだった
柏原コーチと二人三脚で
「4年後の一軍定着」を目標に飛び込んだプロの世界。新庄剛志は1年目の1990年、ウエスタン・リーグで36試合出場、27打数2安打、打率.074に終わった。暗中模索の中、新庄が巡り合った恩師、それが
柏原純一二軍打撃コーチだった。
「素質は素晴らしい。タイミングの取り方さえ覚えれば必ずモノになる」
新庄の内に秘めた“財産”にほれた柏原コーチは1年目から二人三脚の指導を始めた。「打撃がどうのこうの……ではなく、僕をうまくさせたいという気持ちが伝わってきましたね。そんな気持ちに乗せられるというか、応えなければ……という思いで取り組みましたよ」と新庄も柏原コーチの熱い思いを受け止めた。
打席に入ると一度、両腕をだらりと下げ、その後、バットは軽く右肩の上に。約1秒前後の間隔で両足への荷重移動を繰り返したあと、向かってくる球を懐に呼び込んで打ち返す。この、どこか
落合博満(元
中日ほか)に似た、“神主打法”のような打撃アドレスは柏原コーチの現役時代の打撃フォームにそっくりだった。
「自主トレ、キャンプ、シーズン中も試合終了後、寮の自室で何度もビデオを見て、柏原さんの現役時代のフォームを目に焼き付けてきました」
有り余る筋力をいかに効率よく打撃へ転化できるか。ゆったりとした構えは余分な力みを抜き・・・
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