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色褪せぬ夏、青春の甲子園 熱戦の記憶

<思い出球児 僕らにとっての夢舞台>伊藤拓郎(帝京高・投手)「野球人・伊藤拓郎にとって『出発点』であり『学び』の場所」

 

高校1年生投手の甲子園最速記録を更新した「スーパー1年生」。満員の夢舞台で得たのは「なかったら今の僕はない」とまで語る財産だった。今なお一発勝負の世界で戦う右腕は、聖地がくれたものを手に、今日もマウンドに立っている。
取材・構成=武石来人 写真=BBM

今も日本製鉄鹿島で一発勝負の世界に身を置く


球速より印象深い


 2009年の91回大会、大会7日目の第2試合。帝京は初戦の2回戦で敦賀気比と相対した。5対1とリードした9回二死から登板したのは入学間もない1年生・伊藤拓郎だった。その右腕から放たれる速球が観客の度肝を抜く。甲子園で1年生が投じた最速記録を更新する147キロにまで達したのだ。「スーパー1年生」と称され、次戦ではさらに最速を1キロ更新。24年現在もその記録は破られていない。華やかな甲子園デビューを飾った一方、大会前には紆余曲折もあった。

 帝京1年時の甲子園は、背番号18でベンチ入りしての初舞台でした。もともと前田(前田三夫・当時)監督の方針は「1年生のうちはブルペンにも入れない」だったそうです。ただ、僕が入学する前から1年生が1〜2人ベンチにも入っていて、方針に変化のあった時期だったのかもしれません。とは言え、1年生でブルペンに入れるのが限られた選手だけなのは当時も同じ。ほかの選手は走ったり、外から見ていたりという環境でした。僕自身、春の大会から試合で投げさせてもらっていたこともあって、周りからの期待を感じていたのは確かです。

 ただ、春の関東大会が終わってから腰のヘルニアを患い、夏の都大会は投げられず……。甲子園のときは、投げられる状態に戻っていましたが、3年生や監督の中では都大会で投げていない僕を、ベンチ入りさせるかどうか話し合いがあったそうです。その時期、僕の調子は良かったんです。都大会の準決、決勝あたりで投球練習を再開していて、徐々に強度を上げながら甲子園入りを迎えました。良い意味で調子の山と重なったんです。現地入りしてからも調子が上がってくるのを感じていました。

 初登板は、初戦(2回戦)の敦賀気比戦。マウンドに上がる瞬間は・・・

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