不安と痛みの中で始まった一戦は、記念すべき1勝とともに仲間との最高の瞬間に変わった。勝つために投げ切る──強い覚悟を胸に初戦のマウンドに上がった盛岡大付のエース右腕。あの日の登板に、後悔はない。 取材・文=菅原梨恵 写真=BBM 第96回大会・2014.8.16 第3試合
2回戦 対東海大相模 投げなきゃいけない 勝たなきゃいけない
勝負の世界に“たられば”は存在しない。だが、2014年夏の甲子園、8月16日の第3試合。盛岡大付の先発・松本裕樹が万全の状態でマウンドに上がっていたら……。雨が降ることなく、グラウンドコンディションなどに問題がなかったら……。対戦相手が東海大相模ではなかったら……。盛岡大付にとって歴史に残る“夏の甲子園初勝利”は、なかったかもしれない。9回を投げ切って勝利投手となった右腕自身も、そう感じている。
「さまざまな事情が重なっていて。でも、そういうのがあったからこそ勝てたのかなというふうには思いますね。普通に戦っていたら、負けていた可能性は高かったと思いますよ」 盛岡大付にとって、最大の“誤算”はエース・松本のケガだった。岩手大会の3回戦以降、ほぼ1人で投げ勝ってきた右腕に異変が起きたのは、花巻東との決勝(7月24日=岩手県営野球場)でのこと。試合中、急に、だった。
「右肘に痛みが出て」。後に分かることだが、じん帯が炎症を起こしていた。
5対4で勝利して甲子園の切符をつかんだ一方で、大舞台に向けては暗雲が立ち込める。とはいえ、チームを離れるわけにはいかない。
「初戦に合わせるだけでした」。ノースローでの調整が続いた。
だが、試合が迫る中、事態に変化はなかった。むしろ、右腕自身としては
「良くなっているという感覚は全然なかったですね。確か、一度だけシートバッティングで投げてみたことがあったんですけど、全然ダメでした」。
それでも、
「投げないという選択肢もなかった」。右腕は初戦のマウンドに上がることだけを考えていた。
「投げるために何とか調整して、というところだけでした。学校として、夏の甲子園で勝ったことがなかった。今年こそ勝たなきゃいけない──そこが一番大きかったかなと思いますね」 盛岡大付は過去、夏の甲子園に7度出場。しかし、
「もう本当に、歴史に残るほどの勝てないぶりだったので(苦笑)」と右腕がいたずらっぽく振り返る。
「何とか1つは勝たなきゃいけないなという思いが、すごく強かったのは覚えています」 気持ちの上で、迷いはなかった。とはいえ、実際に投げるとなると不安でいっぱいに。そして何よりも・・・
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