残した記録が傑出していなくても、プロ野球の歴史において瞬間的に輝いた左腕投手は多数いる。ここでは、そういった「個性派左腕」について、キタトシオ氏に取り上げてもらった。 文=キタトシオ 写真=BBM 左の強打者殺し
速球派左腕と言うと、例えば
石井一久(元
ヤクルトほか)のように「奪三振は多いがコントロールに難あり」というイメージがどうしてもある。その「NPB第1号」と言うべき存在が、
内藤幸三だ。NPBの公式戦が始まった1936年の秋季リーグ、金鯱軍の内藤は133回2/3を投げ、ともにリーグトップの139奪三振&103与四球を記録。三振か四球かという「怪投」ぶりであった。戦後も投げた内藤は、50年に誕生した
広島に移籍。球団初の開幕投手および初勝利を記録した投手としても球史にその名を刻んでいる。通算92勝141敗。
広島での内藤の後輩に、サイドスローの
清川栄治がいる。通算438試合登板すべてが救援という生粋のリリーバーだが、87年には7試合かけ打者29人を連続でアウトにする「完全試合」を達成した。コーチとしても手腕を発揮したが、今年5月、惜しくも62歳の若さで亡くなった。
左腕のサイドスローと言えば、80年代に
西武で活躍した永射保だ。こちらもリリーフ登板が多かったが、NPB歴代1位の通算打率.320を誇る左打者の
レロン・リー(
ロッテ)に滅法強かった。背中から入ってくるカーブに困り果てたリーは、思わず右打席に立ったこともあったほど。永射の通算500試合登板記念パーティーに招待された際は「顔を見るのも嫌だ。アイツのおかげで、ボクの年俸は随分と低くなってしまった。本当に恨むよ」と粋なジョークで永射を讃えている。
言わば「リーキラー」だった永射に対して「王キラー」として有名になったのが
平岡一郎(大洋)だ。
王貞治(
巨人)との対戦成績は50打数13安打で被本塁打は0。王と50打席以上対戦した投手は72人いるが、1本のホームランも打たれなかったのは平岡を含め3人しかいない。
しかし本当の意味での「王キラー」となれば・・・
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