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プロ野球90年特集 魅惑のサウスポー

<LEGEND CLOSE UP>江夏豊(阪神ほか) スポーツ紙担当記者の証言 筆者の提案から始まった「球宴9連続奪三振」

 

阪神、南海、広島日本ハム西武と渡り歩いた江夏豊は数々の伝説の持ち主だが、痛快さで図抜けているのは「オールスター9連続奪三振」(1971年)。この記録は当時の阪神担当の新聞記者との雑談をきっかけに狙ったものである──。
文=水本義政(元日刊スポーツ編集局長) 写真=BBM

左腕勝利数歴代7位 206勝
29試合/206勝158敗193S/防御率2.49

1971年7月17日のオールスター第1戦[西宮]に先発し、9連続奪三振を達成した江夏豊[捕手・田淵幸一、打者・加藤秀司]


 江夏豊が残した快記録を思い出すと、まさに怪物左腕であり右に出る投手はいないのだが、中でも1971年のオールスターの“予告9連続奪三振”はあまりに荒唐無稽=非現実的で笑い話にもならないのだ。

 というのは、71年時点の江夏は心臓発作に苦しみ、球宴直前のころは6勝9敗とアップアップ状態だった。当時のライバルの巨人のエース・堀内恒夫は絶好調で投手部門でハーラートップを走り、江夏はいつもマウンドで肩を上下させて、エンスト寸前(?)の感じがした。

 それが球宴ファン投票のフタを開けると、堀内を制して江夏が断トツ。これには関係者も記者たちも選手たちも驚いた。息も絶え絶えの江夏が真夏の球宴に出ることのリスクは阪神にとって大きい。ひょっとして巨人の深慮遠謀? とまでは言わないが、誰もが驚いたのだ。

 この年の江夏はもう一つの“荷物”を背負っていた。実はそれも筆者は無関係ではない。と言うのは、2年目(68年)に401個の驚異的なシーズン奪三振を記録したときに偶然、江夏は熱心なファンから純金時計を贈られた。これは純粋なお祝いとしてプレゼントされたものだが、筆者はその純金時計を翌春の西京極球場でのオープン戦の試合直前に江夏から「ちょっとこれ、預かっといてや」と託された。純金製らしくずしりと重い。「これ、ロッカーに置いとかれへんのや! 純金製やで!」。その“重量感”は今でも忘れることはないくらいだった。

 後日、その高価過ぎる時計は問題になり、球団側が江夏と話し合って返却することになったと聞く。つまり江夏にとって「純粋なお祝い」としての品だったのが・・・

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