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ベイサイドに宿る 十人十色の横浜愛

DeNA・三浦大輔監督インタビュー 戦う仲間のために「われわれは一心同体。戦っているのは選手、監督、コーチ、関係スタッフだけではない」

 

中心選手として25年。球団アドバイザーとして2年。指導者として6年。気づけば人生の半分以上をベイサイドで過ごしてきた。横浜を愛する「番長」は喜びも悔しさも共有し、ともに戦ってくれるファンのため、横浜の地に愛してもらうため最後までチームを率いていく。
取材・構成=武石来人 写真=兼村竜介、BBM


第二のふるさと


 後に「永遠番長」と呼ばれ、指揮官としてもチームを率いることになる当時18歳の青年も始まりはほかの高卒選手と同じだった。チームの先輩たち、街、人柄に触れ、成長し、なじみ、今や第二のふるさとと呼べるまでに横浜を愛している。

──入団前は横浜の街やチームに対してどんな印象を持っていましたか。

三浦 大都会ですね。正直来たことがなかったですし、関東に来ることすらほぼなかったです。中学生のときに修学旅行で東京に来たくらいで、初めて横浜に来たのが新入団選手発表会見でした。

──地元・奈良からやってきた「プロ野球選手・三浦大輔」の初舞台が初の横浜だったわけですね。

三浦 そうなんです。その後、横浜スタジアムに見学へ来たのですが、ちょうど人工芝の張り替え中で確かベンチ前までしか入れなかったんですね。でも入団選手の名前をスコアボードに出していただいて、それを見て感動したことを覚えています。横浜スタジアムってこんなにフェンスが高くて、大きい球場なんだなという印象は光景とともに今でも鮮明に心に残っています。

──入団後、チームにはどんな印象を受けたのでしょう。

三浦 最初はとてつもないレベルのところに来たなというのが一番でした。新人合同自主トレから二軍のキャンプイン、みんな球速も足もスイングもとにかく速くて、すべての選手がすごいなと。一回り以上年齢が上の方や、高校時代の監督よりも年上の先輩もいらっしゃったので。ただ、不安というよりは好奇心のほうが大きかったです。先輩が投げるボールのキレを見てすごいな、どうやって投げているんだろうとか、どうやって打っているんだろうとか。

──新鮮ながらかなりの衝撃をたくさん受けたのですね。

三浦 野球の技術ももちろんですけど、寮に入ってからもいろいろな先輩方に横須賀の街で食事に連れて行ってもらったことや、買い物に行ったりしたことすべてが新鮮でした。

──そこから30年余りの時がたっていますが、暮らしの中で横浜の街への印象はどのように変化していったのでしょう。

三浦 住めば住むほどどんどん横浜を好きになっていきましたね。入団後4年間は横須賀の寮生活で、寮を出てすぐに結婚しました。女房も自分と同じ奈良出身で、初めての関東に不安もあったと思うんですが、自分と同じくどんどん好きになってくれました。

──三浦監督の感じる横浜の街の魅力とはどんなところにあるのでしょう。

三浦 いろいろな表情があるところだと思いますね。ちょっと行くと、緑もあって、海があって、川もある。大都会だけど自然もたくさんあります。加えて、野球関係以外でも家族ぐるみで10数年仲良くさせてもらっているご家族もいますし、離れたくない場所です。僕にとって奈良が故郷ですけど、同じくらい故郷と呼べる街です。

──横浜に住んでいる方々の印象はいかがですか。

三浦 昔からずっと横浜で暮らされている方もいれば、ニュータウンには若い人たちがいたり、本当にいろいろな方がいらっしゃいます。僕の住んでいる向かいの方も昔から住まわれている方ですけど、「皆さんでどうぞ」とおすそ分けをいただくこともあって温かさを感じますね。ほかの近所の方とも、球場から帰る際に駐車場で時間があれば少し立ち話したりするんですが・・・

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