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ベイサイドに宿る 十人十色の横浜愛

<Whales Voice>遠藤一彦(元大洋) 横浜大洋15年の足跡「横浜になじんできたと実感したのは、10年目くらい」

 

横浜大洋誕生年に入団し、先発、リリーフ、抑えとすべての役割を全うした本格派右腕。横浜大洋以降球団唯一の沢村賞受賞投手であり、引退試合は横浜大洋としての最終試合だった。すべてを見てきたエースが自らの歩んだ横浜時代を振り返る。
取材・構成=落合修一 写真=BBM

横浜スタジアムにいた多くの人々が惜別の涙を流した引退試合は、翌年から横浜ベイスターズへと生まれ変わる横浜大洋最後の試合でもあった


 私は東海大の出身です。大学時代を神奈川県で過ごし、TVKで大洋の試合の中継をよく見ていました。私が大学時代まで、大洋の本拠地は川崎球場。東海大の所属する首都大学リーグの試合でも使っていましたから、よく知っていました。プロが使う球場じゃないなという印象がありましたね。ロッカールームの天井は低かったし、ブルペンも狭かった。薄暗いイメージでした。

 1978年に私が入団すると同時に、大洋は新しくできた横浜スタジアムに本拠地を移転しました。開幕前だったと思うのですが、初めて中に入ったとき、外野のフェンスが高く、その時点では広告が入っていなくて真っ青だったんですよ。人工芝も新しくてきれいなグリーンだし、すごくおしゃれで洗練された球場に見えましたね。開幕したころにはフェンスの広告が入っていましたが……。

 当時の横浜スタジアムはほかと比較すると広く、外野フェンスも高かったので本塁打が出にくい球場と言われていました。しかし、本塁打よりも・・・

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