原爆投下によって焦土と化した広島の地に1949年、復興のシンボルとして「広島カープ」が誕生した。プロ野球で唯一の市民球団は長い苦難の時期を経て、1975年についに初優勝を遂げ、広島の街は歓喜と涙に包まれた。あれから、およそ半世紀。プロ野球誕生90年を迎えるまで、優勝は9回。そのすべてのシーズンを振り返る。 【1984/1986/1991】はこちら 【2016/2017/2018】はこちら 1975年、大混乱の中で行われた古葉監督の胴上げ。巨人を下して決めた
赤ヘル旋風の到来
3年連続最下位からの巻き返しを図るべく、1975年から帽子とヘルメットを赤に変更。監督にはコーチのジョー・ルーツが昇格した。「エキサイティングなベースボールを目指す」と語っていたルーツだったが、4月末に早くも辞任。39歳の
古葉竹識監督が誕生した。
新監督となってチームはじわじわと浮上した。
外木場義郎、
池谷公二郎、
佐伯和司の先発三本柱に抑えは阪急から移籍してきた
宮本幸信。打線も
日本ハムから移籍の
大下剛史が一番に座り、
山本浩二は6月半ばから四番に定着。その脇を
衣笠祥雄、
リッチー・シェーン、
ホプキンスの助っ人が固めた。5月を12勝8敗3分け、6月も12勝9敗1分けと勝ち越し。
長嶋茂雄監督率いる巨人が最下位に沈む中、夏場まで
中日、
阪神と三つ巴の戦いを繰り広げた。
この年の広島はしぶとく、粘り強かった。「赤ヘル旋風」は広島にとどまらず全国へと広がり、その中で選手たちも集中力を切らさなかった。抑えの宮本に疲れが見え始めると・・・
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