12球団屈指の選手層を誇りながらも、3シーズン、優勝から遠ざかっていたソフトバンク。しかし、今季から一軍の指揮を執ることになった小久保裕紀監督は、開幕直後から他球団を簡単には寄せ付けなかった。さまざまな“想定外”もあった中で、なぜ就任1年目からチームを機能させられたのか――。この1年、優勝までの道のりを振り返りながら、元番記者でもある筆者が小久保監督の手腕に迫る。 文=喜瀬雅則(スポーツライター) 写真=湯浅芳昭、BBM 
9月25日の優勝セレモニーでペナントを受け取ると、選手と一緒に場内1周。本拠地・みずほPayPayに詰めかけたファンの祝福を受けた
「猛練習」は代名詞
就任初年度の“新人監督”が今季、4年ぶりにリーグ優勝へと導いた。3月29日の開幕から、首位で“なかった日”は3月30日、4月3日の2日のみ。開幕10試合目を終えた4月10日以降は他球団に並ばれることすらなく「単独首位」を譲らず、歓喜のゴールまで走り切った。
それでも、決して“余裕しゃくしゃく”という戦いではなかった。主砲の
柳田悠岐が、今季48試合目の5月31日に、右太もも裏を負傷して全治4カ月の診断で戦線離脱。ストッパーの
ロベルト・オスナは下半身のコンディション不良から7月5日に出場選手登録を抹消されると、8月2日からのおよそ1カ月間、渡米して腰の治療に専念していた。
オスナ不在の間、守護神の座を務めた
松本裕樹も、右肩の違和感から9月5日に出場選手登録を抹消。パのリーディングヒッターをひた走り続けて来た
近藤健介が、9月16日の
オリックス戦(京セラドーム)で右足首を負傷すると、リーグ優勝目前で「不動の五番打者」がラインアップから消えた。
このように投打の主軸たちが相次いでチームを離れるという危機に幾度となく見舞われながらも、先述したとおり独走状態でV奪還を果たした。その2大要因をあえて挙げるなら、12球団で唯一の「四軍制」による戦力層の分厚さで戦力の穴を素早く補ったこと、さらに・・・
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