野球の華であるホームラン。最高の1本を打つために打者は一心不乱にバットを振り込む。その積み重ねがファンの夢を呼ぶ。長い歴史で積み重ねられてきたホームランを振り返っていく。プロ野球90年の歴史で本塁打にまつわる名場面は多数あったが、厳選した代表的なシーンをお見せしよう。 1977年9月3日 巨人対ヤクルト 23回戦(後楽園) 
打球が右翼席に届くと、王は両手を大きく広げて喜びを表現した
日本中が狂喜した756号フィーバー
1977年、夏。日本中が狂喜乱舞した756号フィーバーはすさまじかった。
当時のMLB記録だったハンク・アーロン(元ブレーブスほか)の通算755号が近づくにつれ、
王貞治(巨人)の自宅前には連日100人を超えるファンが押し寄せた。夏休み期間だったこともあり、子どもたちもたくさん訪れ、全員にサインをして家を出るのが王の日課となっていた。過熱するフィーバーに対し、当時の王はどう思っていたのか……。
「野球選手冥利に尽きると思います。右も左も分からなかった者がプロに入って、たまたま一本足というものをしたせいか、ここまでやってこられた。だから、僕が打てる、打てないと悩むのなんか、小さいことだと思いますよ。それを
大勢の人が注目してくださり、どこへ行っても『頑張ってください』って声援される。本当にありがたいことだと思います」
8月23日の
広島戦(広島)の3回、
池谷公二郎のカーブを右翼席中段へたたき込み、750号。翌24日は
高橋里志のフォークをとらえて751号だ。25日には・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン