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プロ野球90年特集 本塁打への憧憬 夢を乗せて飛ぶボール

<名場面プレイバック>バレンティン(ヤクルト)が王貞治(巨人)の呪縛を解く56号の新記録を達成 外国人と勝負を避ける時代の終わりを告げた打球音

 

野球の華であるホームラン。最高の1本を打つために打者は一心不乱にバットを振り込む。その積み重ねがファンの夢を呼ぶ。長い歴史で積み重ねられてきたホームランを振り返っていく。プロ野球90年の歴史で本塁打にまつわる名場面は多数あったが、厳選した代表的なシーンをお見せしよう。

2013年9月15日 ヤクルト阪神 20回戦(神宮)

バレンティンは史上初の「シーズン56号」を打ってNPB記録を更新し、次の打席で早くも57号を打った


「55号の壁」を破れなかった3人


 NPBで史上初めて年間本塁打が50の大台を突破したのは、2リーグ分立の初年度でもある1950年、松竹ロビンス(のち大洋と合併)の小鶴誠による51本塁打(このときの161打点はいまだにシーズン記録)。

 63年に南海・野村克也が52本塁打をマークするまで、小鶴は13年間も日本記録保持者だった。野村の天下は短く、翌64年に伸び盛りの24歳・王貞治(巨人)が55本塁打を記録。王にとって13年連続本塁打王の3年目の出来事であり、王はその後も「50本以上」を2回マークするが、この64年の「55」という数字を自ら更新することはなかった。

 それどころか、王以外の打者が年間50本以上の本塁打を打つことは20年、途絶える。その間にパ・リーグでは指名打者制が採用され、80年前後は「打高投低」の時代もあったのに、誰も「50の壁」を超えなかった。77年に王の通算本塁打の数字が当時のMLB記録を超え、日本政府から王に史上初の国民栄誉賞が与えられるなど、王の存在が神格化(?)。王の「年間55本」という数字は、「通算868本塁打」「2年連続三冠王(73、74年)」とともに、日本球界の絶対的な「聖域」となりアンタッチャブルなものとなる。

 85年、阪神のバースが2試合を残して54号を放ち、この記録に肉薄したが・・・

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