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DeNA歓喜のあと 次なる戦いへ──

<あなたの26年のハイライト Part.1>待ち焦がれた26年「強いところを倒して優勝したい。とにかくチームが勝てばいいんです」(三浦大輔)

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前回の1998年の日本一達成以来、26年もの長きにわたり、ベイスターズのファンは勝利に酔いしれる夜はあっても、大半は悔しがり、嘆き、涙を流し、悲しみとともに過ごしてきた。それらのつらい気持ちはすべて、今年の歓喜を味わうためだった! 4人の論客本誌担当が寄稿。26年間のベイスターズの記憶の中で、忘れられない瞬間はどこにありましたか?
文=石塚隆(ライター)

1997年8月20日、首位争いをしていたヤクルト戦[神宮]で12奪三振の完投勝利を決め、ガッツポーズ


若いころから熱い男


 ハマの番長のガッツポーズが大好きだ。現役時代、完投や完封勝ちで見せるロックスターばりに右腕を天に掲げるド派手なガッツポーズも、ピンチの場面で抑え切り、小さくガッツポーズをビシッと決め颯爽とマウンドを降りていく姿も、どれも絵になっていた。

 三浦大輔の戦うハートがにじみ出るガッツポーズは、この30年以上、見ているわたしたちのハートを揺さぶり続けてきた。ポーズを決めたあとに見せる何とも言えない笑顔に、一緒になって喜んだ。

 そんな姿を頻繁に見るようになったのは、やはり38年ぶりに優勝・日本一を遂げた1998年前後からだろう。当時、20代半ば。血気盛んな年ごろだ。今でこそ“ダンディー”という言葉が似合うようになったが、当時は「僕は欲の塊ですよ。いい車にも乗りたいし、いい家にも住みたい。だから大観衆の前で活躍して、給料を上げたいんですよ」と正直によく語っていた。尊敬する矢沢永吉ばりの“成り上がり”。しかし影では誰よりも練習をしていたのは有名な話だ。だからこそ25年間も現役生活を続けることができたのだろう。

 前年に10勝し、98年に背番号46から18に変更。ベイスターズの18番は、それまでエース番号ではなかったが、三浦はその価値を高めようとした。オープン戦では早速「開幕投手をやりたい」と宣言をしている。その理由は「目立つし、最初に出ていくのは俺がいいでしょう」と若手筆頭とも言える熱さからだった。

 結局、開幕投手は川村丈夫になるのだが、このシーズンはキャリアハイの12勝を挙げ、リーグ優勝に大きく貢献した。以前、斎藤隆が教えてくれた三浦に関する好きなエピソードがある。10月8日の甲子園、佐々木主浩がマウンドに上がり、ほぼ優勝が決まりかけたときのこと・・・

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