新庄政権下で台頭してきた若手選手の呼び名「新庄チルドレン」。今年、プロ7年目捕手もその一人である。力強い打撃を武器として昨季、正捕手の座を奪取。強肩、俊足に甘いマスクも備える、華のある扇の要がチーム躍進の象徴として、今季もダイヤモンドで躍動する。 取材・構成=佐野知香 写真=高原由佳 覚悟の5年目に萌芽
昨年10月30日、右肘のクリーニング手術(関節内遊離体摘出)を行った。右肘痛にはここ数年間悩まされてきたが、一軍109試合に出場しブレークを果たしたシーズンの終了直後に手術を決断。2025年に万全の状態で挑むための準備を整えた。 ──右肘の痛みというのはいつごろからあったんですか。
田宮 ずっと痛みが続くようになったのは昨年の9月からですね。それ以前も基本的には痛かったんですけど、プレーできないほどではなかった。昨年はシーズンが終わったあともずっと痛くて、自分でも絶対、おかしいと思っていたんです。トレーナーからも検査したほうがいいと言われたので、検査してみたら全然、動かなくて。それで手術することを決めました。
──現在の状態はいかがですか。
田宮 すごい悪くはなく、もうちょっとかなっていう感じです。痛くないときと同じぐらいには動けるようになってきているので。ただ、傷跡のところはまだ少し痛みがあるので、それが取れたら万全になるかなと思います。
──昨年は初めて1シーズンを一軍で過ごしましたが、どのようなことを感じましたか。
田宮 1年間、出てみないと分からないことが多いなと感じました。特に思ったのは、体力のなさ。後半は全然ダメでした。二軍ではチーム事情で試合に出たり出なかったりとか、出ても捕手ではなく外野手をやったりということもあったので、1年間通してほぼ捕手で試合に出るというのも初めて。その疲労感も体験してみなければ分からなかったなと思います。
──疲労は体力面だけでなく、精神的なものもありましたか。
田宮 あると思います。二軍とは緊張感が全然違いますから。チームを勝たせる、引っ張っていくのはキャッチャーだと思っているので、余計にそれは感じましたね。もちろん、勝ったときは自分で勝たせたなんて思うことはなく、うれしい気持ちが一番ですけど、負けたときはやっぱり自分のせいだなという責任はすごく感じていました。
──そういうときに、気持ちを切り替えるためにやっていたことなどは。
田宮 そういうのは特にはないんですけど、やっぱり山田(
山田勝彦バッテリー)コーチやピッチャーと、その試合の反省などを話し合って勉強していました。特に自分は、自分のやり方で引っ張っていくタイプというよりは、できる限りピッチャーの方の話を聞いて、やりたいピッチングができるようにすることを心掛けているので、「今日はどうでしたか」とか「ああいうときはどうしたらいいですか」といったことを、試合終わりに確認するようにしていました。
──昨年の経験を踏まえて、今季から取り組もうと考えていることはありますか。
田宮 昨年前半は結構しっかりとトレーニングができていたんですけど、後半は疲れてきて、回復を優先するためにちょっとトレーニング量を落としていたんです。それで体が回復してきたなというときに力が出なかったことがあったので、今年1年は疲れていてもトレーニングはしっかりやり続けようと考えています。
──昨年は飛躍の年になりましたが、その前年の2023年にはイースタン・リーグ優秀選手賞に選ばれ、一軍でもプロ初本塁打を打つなど、ブレークの兆しが見えていました。
田宮 一昨年に一軍に呼ばれたときは、自分の中で「ここで活躍できなかったらほぼ終わるな」と思っていました。そこで結果を出せるかどうかで自分の人生が決まると思って臨んで・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン