
「ライオンズ75周年ユニフォーム」を着用してポーズをとる今井達也[左]、西口文也監督
今年はチームの愛称に「ライオンズ」が冠せられてから75年目となる節目のシーズンだ。2リーグ分立へ向けたプロ野球再編の機運が高まった1949年、新たに西鉄クリッパースとしてパ・リーグへ参入したのが
埼玉西武ライオンズの源流。当初は西鉄と西日本新聞でチームを共同運営することになっていたが、西日本新聞は単独チームの西日本パイレーツを結成してセ・リーグに参入していた。しかし、人口規模の小さかった福岡で2球団が並び立つのは困難で、西日本は1年で西鉄と合併して消滅。このとき、西日本新聞の公募で決まった愛称が「ライオンズ」だった。
その初代監督となったのが
三原脩だ。48年から監督として
巨人を率いながら、追われるように去った三原監督は西鉄キャンプで中国の故事を引用して言った。
「われ、いつの日か中原にて覇を唱えん」
つまりは、日本シリーズで巨人を破って日本一になる、ということだった。そして、それを見事に実現させた。
中西太、
豊田泰光、
稲尾和久らを擁し、58年から3年連続日本シリーズで巨人を下して日本一に輝いた。栄光の西鉄ライオンズ黄金時代。三原監督はプロ野球選手に必要な精神に関して、週刊ベースボールで次のように語っている。
「人間は本来、闘争心を持っている。端的に言ってスポーツは人間の闘争本能を満たすものではある。もちろんスポーツによっては、その闘争本能の表れ方が強いものも弱いものもあるが、弱いスポーツにせよ、内面的には火のかたまりのようなファイトが秘められていなくてはならない。このファイトがぶつかるところに、見るスポーツとしての価値がある。
われわれのプロ野球もそうだ。いい加減なことをしていては、ファンに対して満足してもらうことはできない。相手にちょっとの隙でもあれば、徹底的にたたきつぶす。それが強烈であればあるほどファンは満足する」
また、中西は西鉄には本当のチームワークがあったと証言している。
「お互いに長所を生かし、短所を補ってもらった。それが三原さんの言うチームワークだった。一緒に酒を飲んで仲良くすることがチームワークじゃないんだ。豊田君がエラーして走者を出したら、それを稲尾君がかえさず得点を許さない。稲尾君が点を取られたら、豊田君やワシらがバットで取り返す。それが三原監督が残してくれた言葉『何苦楚(ナニクソ)』にもつながる。ほかに三原監督の言葉に『日々新たなり』がある。その日のことはその日で終わり。だから、その日にすべきことを後回しにするな、ということだね」
今シーズンは「ライオンズ75周年シリーズ」が開催され、選手たちは「ライオンズ75周年ユニフォーム」を着てプレーする。同ユニフォームの左袖には戦う獅子の姿と「75」を融合したロゴをあしらい、胸元の「Lions」には80~90年代の西武ライオンズ黄金時代の筆記体をベースに、現代を駆け抜けるスピード感を体現し、麗しい流星的なデザインに変更。襟元には黄金期をほうふつとさせるライオンズブルーとグリーン、レッドの3色のライン、パンツにはレジェンドブルーも加えた4色のラインが入り、ライオンズが積み重ねてきた時代の流れを止めることなく、新たな時代の風を吹き込んだユニフォームになっているという。
最下位からの逆襲を期す今季、ナインには西鉄ライオンズの魂も胸に戦ってもらいたい。
文=小林光男 写真=川口洋邦