春季リーグ戦開幕5日前の4月7日、東京都内で連盟結成100周年記念スペシャルトークショー(小社主催、協力=東京六大学野球連盟、協賛=佐藤製薬株式会社)が行われた。神宮で名勝負を展開した慶大と明大の元主将が登場。卒業後、プロでもライバル関係を築いた2人が、至極のエピソードを披露してくれた。 取材・構成=上原伸一 写真=矢野寿明、BBM 
約90分にわたるスペシャルトークショーは高橋氏[中央]と川上氏[右]が息の合った展開。司会の上重聡氏が絶妙な振りで、大学時代の秘話を引き出した
対戦のたびにトップギア
今回のテーマの一つが、
高橋由伸氏と
川上憲伸氏の「ライバル物語」。プロ入り以降も
巨人の主砲、
中日のエースとして名勝負を繰り広げた2人。1年目の新人王争いは、今も語り草になっている。
高橋氏と川上氏が互いを認識したのは大学1年春(1994年)。高橋氏は「慶應に入ったとき、他校にはどんな新入生がいるか調べたときから、憲伸の存在は知っていた」と振り返る。1年春、両者の対決はなかったが、高橋氏は川上氏のリーグ戦初登板(東大2回戦)を見ている。「その日、慶應の試合はなく、スタンドで観戦していたら、憲伸が出てきたんです」。川上氏にとって、ほろ苦い神宮デビューに。12対4とリードした6回裏に二番手で救援すると、最初の打者・北村英也氏(金沢泉丘高、当時4年)にソロアーチを浴びた(2回1失点、試合は12対5で明大が連勝で勝ち点)。川上氏は「大学野球の厳しさを知りました」と明かす。この年、東大は春、秋ともに5位(春は立大と同率5位)で、年間8勝を挙げている。

「憲伸との関係は、つくろうとしてもできない」
一方の川上氏は、高橋氏をあこがれの眼差しで見ていた。1年春からフルイニング出場し、打率.308、3本塁打、7打点。「いきなり活躍していただけでなく、由伸は長髪なんですよ。こちらは丸刈りなのに……(苦笑)。いいな、由伸みたいになりたいな、と」。初対戦は2年春。結果は4打数1安打だったが、高橋氏は2打席目、右翼席へ運んだ。大学時代の対戦成績は32打数11安打、打率.344、3本塁打、7打点。司会の上重聡氏が川上氏に「投手からすると、打たれている印象ですか?」と水を向けると「僕が打たれていなければ、通算最多本塁打記録(23本)は達成できなかったのでは」と、冗談交じりに語った。一方で川上氏には高橋氏から6奪三振を記録した自負があり、4年秋、最後の対戦は、三振で締めている。
対戦のたびにギアが上がったという川上氏は「打者・高橋」についてこう話す。
「由伸は男気があるんですよ。ちょこんと当てたヒットを打つタイプでなく、いつもフルスイングをしてくる。打たれるか、三振するか、という感じでしたね」

「由伸は男気がある。いつもフルスイングをしてくる」
ファンを魅了した力対決
2人とも大学時代は「特別なライバル意識」はなかった。そろって主将になった4年時も、敵対心はなし。慶大と明大。お互いを、リスペクトしていたのである。
そんな2人の関係が一変したのは、プロ入り後だ。川上氏によると、当時の中日監督だった
星野仙一の影響も大きかった。「明大の大先輩でもある星野さんから、プロ入り直後に『新人王を目指せ!』と。そのためにも、試合前に由伸と親しく挨拶を交わすのはやめろ、足元をすくわれる、とクギを刺されたのです」。高橋氏も「周りからライバル関係を煽られていたのもあり、よそよそしくしなければいけないのかな、と感じていました」。
プロ初対決ではこんな一幕もあった。
「由伸が打席に入ったとき、一瞬、目が合いそうになったんですが、2人とも逸らしたんです。お互い、目が合うとそこで緊張が途切れてしまう、というのがあったんだと思います」(川上氏)
この打席、高橋氏は三振を喫した。「あれから憲伸に対しては打撃がおかしくなりました」。1年目は22打数1安打(1本塁打)。直接対決は川上氏に軍配が上がり、新人王は14勝を挙げた川上氏が手にした(打率.300、19本塁打、75打点の高橋氏はセ・リーグ連盟特別表彰)。
翌年以降も真っ向勝負のエースと、フルスイングのスラッガーの対決は多くのファンを魅了した。対決を重ねるたびに、2人の関係性は深まっていった。川上氏が「由伸のような存在は他球団にはいなかった」と口にすれば、高橋氏は「憲伸との関係は、つくろうとしてもできない」とお互いが認め合っていた。プロ通算は148打数40安打、打率.270、7本塁打20打点、28三振の数字が残っている。
2人目・完全試合の秘話
2人の至極の話題を引き出した上重氏は5学年下。2人とは不思議な縁で結ばれていた。大学時代の高橋氏と川上氏にあこがれ、東京六大学でプレーをしたいと、PL学園高から立大に入学した。リーグ戦通算9勝。2年秋(00年)の東大2回戦では、1964年春の慶大・
渡辺泰輔氏が立大2回戦で達成して以来、36年ぶり史上2人目の完全試合を遂げた。ただ、大記録の背景には、こんな裏話があった。
「この試合は、その年のシーズン最終戦で、僕が5回まで投げたら、6回以降は引退する4年生が1回ずつ投げる予定でした。ところがパーフェクトを続けているので、ベンチは6回になっても交代できない……。先輩がじれているのが分かりますし、難しい状況にありました」
だが、なおも1人の走者を許すことなく、8回が終了。「さすがにまずいと思って、齋藤章児監督(当時)に『ここで降ります』と。最終回は卒業記念のためにも、先輩方に投げてもらってください、とお願いしたんです」。過去に1人しかいない事実を知っていた齋藤監督は「完全試合は、4年生の卒業祝いになる」と続投を指示。上重氏が唯一、意識した最終回も快投を続け、史上2人目の完全試合が生まれた。大記録を達成したあと、渡辺氏から祝福の電話があったという。「ずっと自分しか記録した投手がいなかったので、うれしい」と伝えられたという。
同世代2人と、東京六大学の歴史に造詣が深い上重氏によるトークショーは、エピソードの宝庫だった。高橋氏と川上氏は大学、プロを通じての好敵手であるが、今となっては良き仲間。東京六大学は100年、6校で歩んできた歴史があり、神宮球場で戦ったという共通項から、世代を超えた絆もある。約90分。仲睦まじいトークショーに、場内は笑顔が満載だった。
■高橋由伸の東京六大学リーグ戦成績(1994~1997年) 
※カッコ内はチーム順位。丸数字はリーグ打率ランキング
■川上憲伸の東京六大学リーグ戦成績(1994~1997年) 
※カッコ内はチーム順位。丸数字はリーグ打率ランキング
PROFILE たかはし・よしのぶ●1975年4月3日生まれ。千葉県出身。桐蔭学園高では1年夏(3回戦敗退)、2年夏(1回戦敗退)に甲子園出場。慶大では1年春から4年秋まで全試合フルイニング出場。3年春には三冠王に輝き、ベストナイン4回受賞。歴代最多23本塁打。98年ドラフト1位(逆指名)で巨人入団。98年にセ・リーグ連盟特別表彰(新人特別賞)、ベストナイン2回、ゴールデン・グラブ賞7回。2004年のアテネ五輪で銅メダル。15年限りで引退し、16年から3年、巨人監督を務めた。NPB通算1819試合、打率.291、321本塁打、986打点。
かわかみ・けんしん●1975年6月22日生まれ。徳島県出身。徳島商高ではエース・四番として3年夏の甲子園8強進出。明大では1年春から登板し、4年時は主将を務め、通算28勝。ベストナインは3回受賞。2、3年時に明治神宮大会優勝。98年ドラフト1位(逆指名)で中日入団。09、10年とアトランタ・ブレーブスに在籍し、MLB通算8勝。12年からは中日に戻り、15年までプレー。98年に新人王、04、06年に最多勝、06年に最多奪三振、最高勝率など受賞多数。NPB通算275試合、117勝76敗、1セーブ、防御率3.24。現在は野球解説者で活躍。
かみしげ・さとし●1980年5月2日生まれ。大阪府出身。PL学園高のエースとして、3年夏の甲子園準々決勝では、横浜高と延長17回の激闘の末に敗退。立大では2年秋の東大2回戦でリーグ史上2人目の完全試合を達成。4年時は主将としてチームをまとめた。東京六大学リーグ通算23試合、9勝3敗、防御率2.31。大学卒業後の2003年、日本テレビに入社し、アナウンサーとして活躍。24年3月末に退社。以降はアップウエイトカンパニー株式会社で活動。