岩手県立の伝統校・一関一高時代に甲子園出場はない。高校時代に実績のある選手が顔をそろえる新たな環境で、カルチャーショックを受けたが、必死に食らいついた4年間。レベルの高い名門大学で培われた精神力は社会人野球を経てプロ10年目を迎えた野球人としての根底になっている。 取材・文=阿部ちはる 写真=川口洋邦、BBM 
2007年6月11日の東北大会決勝では、強豪私学の青森山田高を5対0で下し、初優勝に貢献した阿部
背中を押されて明大へ
岩手県出身。
「まさか東京の大学に行くとは思っていなかった」と当時を振り返る。
「本当にたまたまなんです」。
阿部寿樹が入学する1年前の2004年に21世紀枠でセンバツ出場を果たしている一関一高。プロ野球選手を輩出している背景もあり、大学野球部のスカウトが注目する高校のひとつとなっていた。
「高校3年生の春の東北大会で優勝することができて、それがきっかけで(明大からも)声を掛けてもらった感じです」 だが同校を選んだ理由は、プロを目指してのことではなかったという。
「地元でプロ野球選手になっている方が少ないので、野球を仕事として考えることにあまり現実味がなかったんです。野球をやめた後のことも考えて進学校を選びましたね」 それでもその非凡な才能に多くのスカウトが注目。何校か声が掛かった中で選んだのが明大だった。
「正直、六大学は『聞いたことがあるなあ』くらい。東都と首都と何が違うのか、どこの学校がどのリーグに所属しているのかさえ分かっていなかった」と苦笑する。進学先を悩んでいたとき、背中を押してくれたのが・・・
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