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東京六大学野球100周年

<特集巻末コラム>東京六大学6校の絆 新たな共存共栄の活動理念が“文化”として定着

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秋の最終戦は相手校、応援団[部]、声援を送ってくれた観衆に対して、感謝を示す場となっている。写真は2024年秋の第8週、明大対法大2回戦のエール交換[写真=矢野寿明]


 忘れられない涙がある。2021年秋の開幕直前、法大で新型コロナウイルスのクラスターが発生した。チームを組むことができない致命的な状況。全国で26大学連盟がある他のリーグ戦では「出場辞退→不戦敗」も出ており、同様の措置もやむを得ないとみられた。しかし、ここで6校が手を取り合ったのである。

 できない理由を考えるのではなく、どうすれば対抗戦を実施できるのかを見出した。法大に出場の機会を与えるため、開幕を1週間遅らせ、大幅な日程変更も残る5校が了承した。当時、法大を指揮した加藤重雄監督は神奈川県川崎市内の野球部合宿所に泊まり込み、大島公一助監督(24年から監督)とともに生活をサポート。手取り足取り、学生の面倒を見ていたのである。

 連盟理事会での全会一致の承認を受け、加藤監督は連盟関係者、加盟校に深々と頭を下げ、人目をはばからず嗚咽をあげた。当時の報道対応は対面ではなく、オンライン会見。パソコンの画面上からも、感謝の思いは十分過ぎるほど伝わってきた。全6校がそろわなければ、リーグ戦ではない。同秋、多くの関係者の尽力により、全30試合を完遂した。振り返れば2020年春も2度の延期を経て、異例の8月開催へとこぎ着けた。

 先人からつながれてきた伝統を、途絶えさせてはいけない。1925年秋から6校でリーグ戦を展開してきた「使命感」が根底にあった。各競技団体に下賜される天皇杯は、硬式野球は東京六大学の優勝校に下賜されている歴史的背景。明治神宮野球場は連盟創設翌26年、東京六大学リーグ戦のために竣工され、同連盟が建設費の一部を協力した事実。不要不急の外出の自粛が叫ばれた中で、100年の歴史を回顧する契機にもなった。

リスペクトの心を再認識


 コロナ禍では、感染症対応ガイドラインの下でのリーグ戦運営が続いた。相手校がいて、審判員、公式記録員が配置され、試合を運営するマネジャーがいて、初めて試合が成立する。リスペクトの心を再認識した。コロナ禍では「無観客試合」も経験してきただけに、観客からの声援、野球部と一心同体である応援団(部)の存在の大きさを、あらためて知った。

 23年5月8日から、新型コロナウイルス感染症への対応が5類感染症に位置付けられた。同春の途中からは19年秋までと同様、制限のないリーグ戦が戻った。同秋の10月23日。法大はリーグ戦最終戦(明大3回戦)後、スタンドへの挨拶を終えると、勝者・明大、敗者・法大と続く両校の校歌、エール交換を見届けた。加藤監督によると、当時の主将と主務の発案。この日は1カードであったため、実現できた。バックアップしてくれた応援団に、感謝の思いを形で示した。同秋限りで退任した加藤監督は、学生の主体的な姿に目頭が熱くなった。

 22年から偶数年の秋は、従来の8週制ではなく、9週制で開催した(週末にヤクルトの本拠地・神宮で日本シリーズが組まれる可能性があるため)。通常は第8週・早慶戦のみが単独カードも、偶数年は第7週、第8週、第9週に1カードが組まれた。

 法大の動きは翌24年秋、他の5校に派生。全日程を終えた第7、8、9週の試合後、前年の法大同様、選手たちはグラウンドに残った。エール交換を聞き入り、相手校へはあらためて頭を下げた。コロナ禍前は応援席や球場外で行われていた「神宮送別会」がアップグレードされた格好だ。4年生の“卒業式”。応援席前で両校選手が並ぶ厳粛なセレモニーは、壮観である。選手、スタンドのあちこちでは、涙があふれた。

 現状は偶数年限定も、奇数年での実施も検討中だ。新型コロナウイルスから、当然と思い込んでいた日常の大切さを学んだ。6校の絆。新たな共存共栄の活動理念が“文化”として定着。結成100年。東京六大学リーグは今後も神宮とともに歩む。(文=岡本朋祐)

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