ここでは実際に、ユニフォームを身にまとい戦った元選手の声をお届けする。近鉄から独立リーグまで4球団のユニフォームを着てマウンドに上がった。現在も自宅で大事に保管しているという。当時の思い出を振り返ってもらった。 取材・構成=椎屋博幸 写真=BBM 
入団したときに着ていた近鉄のユニフォームを持って、思い出の地、京セラドームで
複雑な思いがあるサーパスのユニ
日大三高時代は、3年生夏に10年ぶり2度目の全国制覇を経験しました。当時のユニフォームは、学校支給でしたので、返却して持っていません。当時は帽子、グラウンドコート、バッグも学校(野球部)の持ち物で、すべて借り物として使用していました。現在のシステムがどうなっているのか分かりませんが、僕たちの時代は、親の金銭的負担も少なかったと思います(笑)。
プロ野球に在籍した多くの選手たちは結構、知り合いなどにユニフォームを譲っているようですが、僕はいろいろな理由でキープしていましたので、近鉄時代のホーム&ビジター(2004年)も持っています。
高卒で入団した3年間、近鉄にお世話になりました。18歳で初めて袖を通したときは、これがプロのユニフォームかあ、という感じだけでしたね(苦笑)。まさか球団がなくなるとは……。04年に合併問題が持ち上がり、結局、近鉄が消滅して
楽天が誕生。分配ドラフトで近鉄の選手が
オリックスと楽天へ振り分けられ、僕はオリックスへ行くことになりました。実際にそれまで敵チームであったオリックスのユニフォームを着ることに、抵抗はありませんでした。そう言うと「近鉄に愛着がないのか」と思われるかもしれませんが、オリックスのユニフォームを着る時期、つまり春季キャンプのときには、すでに気持ちはオリックスの選手という意識で切り替えていましたので、そういう意味で違和感なく着ることができました。
オリックスでは当時・・・
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