21歳の若者が「戦犯」扱いをされた2008年の北京五輪。翌09年のWBCではストイックに日本のために追い込み、胴上げ投手に。それから16年後に招集された侍ジャパンでは、チームの輪を重んじ、心を一つにまとめ、2大会ぶりの世界一に貢献した。20歳過ぎに経験した苦しい時間を乗り越えたからこそ、つかめた栄冠でもあった。 文=編集部 写真=Getty Images 
2009年の決勝はイチローの延長での勝ち越し2点タイムリーの記憶が鮮明だが、その裏をダルビッシュが抑えきって連覇を達成した
北京五輪4位の屈辱
16年前、ドジャー・スタジアムの中心で、両手を広げながら、下を向き叫んだ。WBC2連覇を達成した瞬間、
ダルビッシュ有はマウンドに立っていた。「窮地に立たされたこともあったけど、最後に全部報われた」。
前年の2008年夏の北京五輪。21歳でエース格として臨んだ。初戦のキューバ戦を任され5回途中7安打、4失点。2対4で日本代表は黒星スタートとなった。翌日には責任を取り長い髪にはさみを入れ、丸刈りにして出直した。しかし、当時の
星野仙一監督はその後、敗戦処理として起用し続け、日本もメダルには届かなかった。
ダルビッシュにとって初めての日本代表であったが、苦い経験となった。前年の07年は15勝5敗、12完投で最多奪三振のタイトルも獲得。08年シーズンも順調な出足で日本代表に選出された。初の大舞台も帰国後・・・
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