東大からプロ野球に進んだのは過去6人。すべて投手としての入団(2023年秋まで指揮した井手峻前監督は中日入団後、外野手としてもプレー)である。野手として初のプロ入りを目指す、赤門ヒットメーカーに迫る。 
練習拠点である東大球場のスタンドにて撮影。学生ラストイヤーは野球人生をかけ、ひたすらバットを振ってきた。あとは練習の成果を待つのみである[写真=BBM]
再び夢を設定した理由
東大史上6人目のプロ野球選手である
宮台康平は現在、今年7月の司法試験を目指して猛勉強中だ。東京六大学リーグ戦で通算6勝。東大にとって最後の勝ち点奪取である2017年秋(対法大に2連勝)のエース左腕だ。18年にドラフト7位で
日本ハムに入団し、21年に
ヤクルトへ移籍し、22年限りで5年間のプロ生活を終え、新たなステージに挑戦している。酒井捷は関係者を通じて元プロの考えに触れる機会に恵まれた。
「宮台さんはプロ入り以降、どのように活躍し、お金を稼いでいくのかを見据えていて、支配下でしか行かないと伝えており、仮に指名漏れならば法曹界へ進むと決めていた、と聞いています。選択肢はNPBに偏っていなかったそうです。ただ、私は現状、プロに入ることが目標です。入るのに必死。数年でクビになってもいい。育成ドラフトの最後でも取っていただけるのであれば……。しがみついてでも、勝ち取りたい」
プロを目標とした経緯はこうだ。
「幼少期から自然とプロ野球選手を目指すようになったんですが、中学時代に自分の実力が見えてきて、無理かな、と……。周囲の目を気にしている自分がいたんですが、ちょうど中学2年時に東大の宮台さんが神宮で活躍され、ドラフト指名を受けた。東大からプロへ行く道があることを知ったんです。そこでもう1回、プロを目指そうと、東大に入るために、仙台二高に入学しました」
酒井は野球に囲まれて育った。父・智也さんは山形東高の二塁手として活躍。右投手だった3歳上の兄・渉さんは仙台二高でプレー。大学卒業後、英語科教諭として、現在は気仙沼高の監督を務め、高校野球の指導現場に立っている。母・香奈さんは中学までソフトボールに親しんだ。仙台市内の実家にはティーネットが貼ってあり、親子で毎朝1時間、打撃練習するのが日課だった。
ケガから学んだこと
小学生時代、酒井は・・・
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