出身の愛知県から仙台育英高・須江航監督の指導力を慕い、宮城県にやってきた。全国大会常連校に属しながらも、入学以降、まだ甲子園の土を踏めていない。ラストチャンスにすべてをかけていく。 取材・文=沢井史 写真=早浪章弘 
中学時代までは主に内野手。仙台育英高・須江監督から素材を買われ、入学から約2カ月後に捕手転向が言い渡された
先輩には羨望の眼差し
2022年夏の甲子園で東北勢として初の全国制覇を果たし、翌夏の甲子園でも準優勝。その年の春に仙台育英高の門をくぐり、先輩たちの勇姿を見つめ続けてきた1人が
川尻結大だった。当時のエース・
高橋煌稀(早大)、主将で遊撃手・
山田脩也(
阪神)、捕手・
尾形樹人(早大)、外野手・
橋本航河(中大)と高校日本代表でプレーした先輩4人のプレーを目の当たりにしてきた。
当時1年生だった川尻は「雲の上の存在でした」と羨望の眼差しで見ていた。あれから2年。川尻は東北を代表する捕手に成長した。ただ、仙台育英高・須江航監督は川尻についてこう言及していた。
「(高校日本代表候補選手強化合宿では)川尻はあまり目立っていなかったんじゃないですかね。捕手としては体が大きいほうではないですし、どちらかと言うと『見栄え』はしないかもしれません。でも、それが川尻の特長なんです。性格は大人しいほうですが、投手より前に出ることは絶対にないですし、投手の良さを引き出すのがすごくうまいんです」
寝耳に水のコンバート
愛知県出身。愛知名港ボーイズ時代は主に三塁手だったが、仙台育英高に入学して約2カ月後の6月、須江監督から・・・
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