広島の初優勝時、自身7年ぶり2回目の20勝を挙げ、エースとして投手陣を引っ張ったのが外木場義郎だ。昭和40年代にノーヒットノーランを3回記録しながら、リーグ最多敗戦も3回あったほどの弱小時代からカープを支えた剛腕が、初優勝への過程を振り返った。 写真=BBM 
130試合中112試合に先発した外木場[上]、池谷[前列左]、佐伯[前列右]の投手陣3本柱
3投手がフル回転
1975年の広島のリーグ戦130試合のうち、約86%の112試合は外木場義郎、佐伯和司、池谷公二郎の3本柱の誰かが先発した。中でも、20勝(13敗)、287イニング、193奪三振がリーグ最多でもあったのが外木場。この年のリーグMVPは山本浩二だったが、「投の最高殊勲選手」なら間違いなく外木場だ。 衣笠祥雄君にしても山本浩二君にしても、ちょうど脂が乗り切ったいいところだったという感じがしますね。あの年は最初、ジョー・ルーツが監督をしていまして、それまでの弱いチームには何が足りないのか、というミーティングばかりでした。アンパイアが「ゲームセット!」と言うまで何が起きるか分からん、そのときまで一生懸命やれと言っていました。そのミーティングがあるごとに、野球が少しずつ変わっていったかなという気はしましたね。
外国人の監督は、すべてを仕切りたがるんです。前年の秋、ルーツが監督になってすぐに「来シーズン、41試合全部(リリーフ登板なしの意味)先発で投げて、半分勝ってくれ」と私は言われました。41試合の半分ということは、20勝しろということ。20勝したらチームに変化があるかもしれない、と。私はそれがAクラス入りかな、と思いましたが、まさか優勝するとはその時点では思っていませんでしたね。
当時はローテーションピッチャーが私と池谷(池谷公二郎)と佐伯(佐伯和司)の3人しかいなかったので・・・
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