
1992年のドラフトで1位指名4球団競合の末、巨人・長嶋監督が「交渉権獲得」の当たりクジを引き当てた。ここから2人の師弟関係はスタート。写真は入団1年目、93年の宮崎キャンプ
師匠と愛弟子の間に結ばれた熱い絆だった。
「
長嶋茂雄さん、危篤」という知らせを受けて、海の向こう10887キロ彼方のニューヨークから、スマホでつながった
松井秀喜さんは、意識が混濁する長嶋さんの耳元へ大きな声で、語りかけた。
「監督、約束は必ず守りますからね」
返事はできなくとも、長嶋さんの耳には教え子の言葉がはっきりと伝わった。それはミスタープロ野球が、愛弟子から耳にする最後の言葉となった。
約束は必ず守ります──その言葉の真意を必要以上に深掘りしても意味はないはずだ。
訃報を受けてから取るものも取り敢えず機上の人となった松井さんは、約20時間後の早朝に帰国すると、弔問のために長嶋邸を訪れている。
「試合を見に来る人たちの中には一生に一度しか足を運べない人もいる。だから常に全力を尽くす」
長嶋さんが愛して止まなかったヤンキース往年のスターであるジョー・ディマジオが残した言葉だ。長嶋さんはディマジオの教えを胸に、全力プレーを心がけてきた。愛弟子の松井さんにも長嶋さんの熱い思いは伝わっている。
長嶋さんが横たわる部屋には1960年代にベロビーチで、撮影された長嶋さんとディマジオのツーショットが飾られていた。松井さんが座る椅子には長嶋さんが車椅子で使用していた座布団が置いてあった。その上に座った松井さんは長嶋さんと約2時間、無言の会話を交わした。
長嶋さんは、今年3月15日に東京ドームで行われたドジャースVs巨人のプレシーズンゲームで
大谷翔平を激励したときと同じ帽子と、シャツ、カーディガン、スラックスを身につけていた。掛け布団の上に、かつて松井さんからプレゼントされたベージュ色に茶色の縁取りがついた毛布がかけられていた。これは長嶋さんが車椅子で移動するときに膝かけに使用していたものだ。
長嶋さんが12年ぶりに巨人監督に復帰した92年オフ、ドラフトで4球団競合1位指名の末に「選択確定」の当たりクジを引き当てたときからスタートした師弟関係。入団当初は「四番育成1000日計画」のノルマを課された。入団4年目にはマンツーマン指導が開始されて、松井さんが2003年に海の向こうのヤンキースへ移籍するまで続けられた。
NPBでは首位打者1回、最多本塁打3回、最多打点3回という打撃部門のタイトルを獲得。MLBでは、09年に日本人選手初のワールドシリーズ最優秀選手賞に輝き、押しも押されもせぬスターの座へ上り詰めている。
「長嶋監督と出会えた縁がなければ松井秀喜という野球選手は、まったく違った野球人生を送っていたと思います」
2012年オフに現役引退を表明した松井さんは、「最も思い出に残るのは、長嶋さんと素振りをしていたときです」と語っている。その舞台となった長嶋邸をあとにした松井さんは、待ち受ける報道関係者を前にこう語った。
「長嶋監督と生前、約束したこともあります。しかし、ここではお話できませんが、その約束を果たしたいと思います」
現役引退後の翌13年には長嶋さんとともに国民栄誉賞をダブル受賞。長嶋さんは現役時代の松井さんを「近代野球を代表するホームラン打者」と評した。長嶋野球のDNAを継承する松井さんが、監督として巨人の新黄金期を演出してくれる日が訪れようとしている。(文=池田哲雄[小社社長])