週刊ベースボールONLINE

ミスタープロ野球 長嶋茂雄追悼号

<昭和世代たちの証言>みんな長嶋さんが大好きだった

 

昭和生まれのレジェンドたちに現役時代の思い出を尋ねる本誌連載「昭和世代の言い残し」では、これまでさまざまなレジェンドにお話を伺ってきたが、たびたび話題に上がった長嶋茂雄さんとのエピソードをピックアップする。長嶋さんは、かくも愛されていた。(文中敬称略)
取材・構成=落合修一

巨人の四番打者・長嶋に立ち向かう、1961年の中日の新人・権藤


権藤博「右手1本でポーンとライト前に運ばれた」(2023年5月8日号より)


権藤博[元中日]


 鳥栖高からブリヂストンタイヤを経て、1961年に中日に入団した権藤は1年目から35勝19敗、防御率1.70の成績で最多勝、最優秀防御率、新人王、沢村賞、ベストナイン。投球回429イニング1/3は2リーグ制以降の歴代最高記録で、いくら投げても抑えられるという自信に満ちあふれていた。

「5月中に2ケタ勝利に到達して防御率1点台だったから、自分は通用していると思っていました。プロ初登板が巨人からの完投勝利(61年4月9日=後楽園)で、またすぐに巨人を完封したので(4月19日=中日)、その点ではプロでやっていける自信になりましたね。長嶋さんには、『打たれた』というより『当てられた』。体が崩れて顔がレフトに向いていても、右手1本でポーンとライト前に運ばれたりして、あまり会心のヒットは打たれていませんが、それでも4割5分くらいは打たれているんじゃないかなあ(編注:61年の対戦成績は29打数13安打、打率.448)」

上田二朗「勝負してくださって、ありがとう」(2024年5月6日号より)


 阪神時代の1973年に22勝14敗、防御率2.22の好成績を挙げ、前年まで8連覇していた巨人と僅差の優勝争いを繰り広げていた。その最中、甲子園の巨人戦(73年7月1日)の9回二死までノーヒットノーランを続けた上田。あと1人で大記録達成という局面で打席に迎えたのが、四番・長嶋だった。

「捕手の田淵(田淵幸一)さんは初球にカーブを要求。しかし、私は最後に変化球で勝負するため、先にストレートを見せたかったのです。田淵さんがタイムを掛けてマウンドに来ました。『長嶋さんはああいう性格の人だから、真っすぐを投げたら必ずバットを出すぞ。いいんか。それでも真っすぐを投げるなら、コースいっぱいを攻めろ』。覚悟を決めました。田淵さんは戻って、アウトローギリギリのところにミットを構える。そこを狙ったつもりだったのですが・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

特集記事

特集記事

著名選手から知る人ぞ知る選手まで多様なラインナップでお届けするインビューや対談、掘り下げ記事。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング