記録と記憶に残るミスタープロ野球・長嶋茂雄は大学4年間、神宮球場で切磋琢磨してきた。佐倉一高(千葉)から入学したスラッガーは、瞬く間に東京六大学のヒーローへと上り詰め、攻守走とアグレシッブなプレーに学生、ファンは心酔した。 2年春までノーアーチ
長嶋は「超大物ルーキー」として1年春から出場機会に恵まれたものの、秋を通じてノーアーチだった。安打も年間で6本にとどまり、大学野球の厳しさに直面している。
なぜ、2年春までは相当、苦しんだのか。長嶋の1学年下でマネジャーを務めた荒井邦夫氏はこう明かす。
「『鬼の砂押』と言われた砂押邦信監督が55年春(2年春)限りで(排斥運動により)退任。長嶋さんは砂押監督にかなり、しごかれていましたが、その基礎があって、辻猛監督就任以降に素材を開花させた印象があります。辻監督は自由奔放のスタイル。そこからグーンと伸びた。あのタイミングで監督が代わったので、長嶋さんは本来の野性味あふれるプレーができるようになったわけです。ゴロをさばいた後、右手をヒラヒラさせる動きがありますが、砂押監督なら、できませんのでね(苦笑)」
初本塁打は2年秋。六大学通算29勝の早大・
木村保(八尾高、のち南海)から放っている。3年時は春秋で5本塁打の量産。当時のリーグトップだった7本の慶大・
宮武三郎(高松商)、早大・呉明捷(嘉義農林)にあと1本に迫った。4年春の開幕カード(法大2回戦)でタイとする。新記録達成への期待が高まったが、ここから・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン