立大から入団した1958年から、ユニフォームを脱ぐ74年まで巨人一筋17年。背番号3はいつも国民的ヒーローだった。数々の語録、そして年表からミスターを振り返っていく。 
引退セレモニー。5万人の観衆は固唾をのんで見守った
1974年 【成績】セ・リーグ2位、打率.244(442打数108安打)15本塁打、55打点 17年目のシーズンは不退転の決意で臨んでいた。「初心に帰る」をモットーにした宮崎の春季キャンプ。38歳のベテランは誰よりもバットを振り、白球を泥んこになって追いかけた。「野球に年齢はない。技術の壁を突き抜けるしかないんだ」。
己を信じ、前を向き、1974年シーズンが幕を開けた。4月6日、
ヤクルトとの開幕戦(後楽園)では
松岡弘から左越えの本塁打。5年連続、通算10本目の開幕アーチでシーズンインした。5月には2本の満塁弾を放つも、好調を維持することはできなかった。6月13日の
中日戦(後楽園)では先発から外れた。不振による先発外は、65年8月1日の
広島ダブルヘッダー第2試合(広島)以来。7回に代打で登場すると、4万1000人の大観衆は総立ちとなった(結果は遊飛)。
長嶋の不振と同調するように、チームも黒星が先行した。一部メディアは「引退」の憶測記事を展開し、ファンを含めた大論争となった。
川上哲治監督は6月19日の中日戦(中日)で公式戦初の一番起用。刺激材料は、指揮官の親心でもあった。
7月のオールスターには入団から17年連続でのファン投票選出。しかも、通算7度目となるリーグ最多得票。ミスタープロ野球の人気は健在だった。第2戦(西宮)では通算7本目のアーチを放っている。高めのボール球を“大根斬り”すると、左翼席最上段まで飛んでいった。
球宴以降、長嶋は・・・
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