かつてこれほど劇的なシチュエーションがあっただろうか。同率首位で並んだ両チームの直接対決で優勝が決まる最終決戦。勝ったのは巨人。ナゴヤの夜空に“ミスター”が高々と舞った。長嶋巨人において最も劇的な勝利として語り継がれている一戦だ。 写真=BBM 
勝つと信じて疑わなかった長嶋監督。積極的な采配で歴史的一戦を見事に制した
巨人の失速と中日の進撃
第二次長嶋政権がスタートしたのは1993年。野村(
野村克也)
ヤクルトに連覇を許しての3位に終わり、監督復帰2年目の94年はリベンジに燃えていた。
中日からFA移籍で
落合博満が加入。4月を13勝6敗とスタートダッシュに成功すると、5月も13勝10敗と勝ち越し、6月は16勝6敗と独走態勢に入った。7月になってその勢いこそ止まったものの、8月18日には待望のマジック25が点灯。優勝は着実に近づきつつあった。
しかし、8月末から9月にかけて19年ぶりとなる8連敗。投打の歯車がまったくかみ合わなくなった。そこから
広島に替わり、巨人との差をじわじわと縮めていったのが中日である。すでに優勝争いから脱落し、水面下では来季の第二次星野(
星野仙一)政権に向けて組閣づくりが進行中。3年目の
高木守道監督は8月末に球団から来季の契約を結ばない旨を通告されていたが、9月18日のヤクルト戦(神宮)から怒涛の9連勝。同28日の巨人戦(ナゴヤ)に1対0で勝つと、ついに巨人とゲーム差なしで並んだ。翌29日の同カードは台風の影響で中止。巨人にとっては“恵みの雨”となり、この試合が10月8日に組まれることになった。「10.8」の誕生である。
当時は130試合制。巨人と中日、ともに129試合を終えた時点で69勝60敗。残る1試合が名古屋での直接対決となる「10.8」──シーズン最終戦で勝ったほうが優勝するという同率の首位決戦はプロ野球史上初。その歴史的大一番を前にして、長嶋監督は
大勢の報道陣を前に声を弾ませて言うのだった。
「皆さん、こういう試合は初めてですか? やりますよ、総動員です。オーラスの大一番。もう社会現象というか・・・
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