父は母校で指導歴40年の中井哲之監督だ。「親子の縁を切って来ました」と広陵高に進学し、大学卒業後は同校に赴任。身内だが父を「先生」と呼び、生徒と向き合ってきた。宗山塁と渡部聖弥の高校3年間を指導。教育者のDNAが受け継がれている。 取材・文=岡本朋祐 写真=BBM 
大学3年時、明大・宗[右]と大商大・渡部は侍ジャパン大学代表でチームメートに。高校時代から主将、副将の関係で切磋琢磨してきた
忘れられない表情
記憶に残る光景がある。2018年6月、夏の
広島大会を控えた強化練習だ。宗山塁は1年生ながらメンバー組に入っていた。2つの名物練習がある。プレッシャーノックと、プレッシャーバント。夏の登録候補選手15人がノーミスで消化しなければ、そのメニューは終わらない。背番号を手にできない控えの厳しい視線もあり、試合同様の重圧がかかる。当時は赴任2年目で副部長だった中井惇一部長は、ピリピリ感を回顧する。
「走者一塁。フェアゾーンにバントをするわけですが、全員が成功するまで終わらない。すでに3時間が経過していました。そこで、先生(中井哲之監督)はあきらめて、グラウンドから引き揚げてしまったんです。それは『お前らは、甲子園は無理』と失格の烙印を押されたことを意味する、非常に厳しい現実でした。宗山の2学年上の3年生は泣きながら『もう1回、お願いします!』と先生に頭を下げました。
翌日、チャンスが与えられたのです。私は在学中、2年時からこのプレッシャーバントを経験していますが、先輩たちの思いも背負ってプレーしなければならない。極端な話、逃げ出したくなるほどなんです。つまり、相当な覚悟と責任が必要です。そこで、1年生・宗山に順番が回ってきました。しかも最後のバッターです。打席に入る前、こちらを見るとニコッとしてくるんですよ。あの状況をまるで楽しんでいるように、成功させた。完全にゾーンに入っていました。僕はあの表情を忘れることはできません。大学を経て、5球団がドラフト1位で競合するとは想像もできませんでしたが、大物になると直感しました」
「渡部ネット」の真相
渡部聖弥と宗山の共通点は・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン