確実にいまにつながっている場所だ。今季、2度の離脱はあったが対応力の高い打撃でライオンズ打線の核となっている渡部聖弥。ドラフト2位ルーキーのすべてが磨かれたのが広陵高で過ごした日々だった。獅子の若大将が語る高校時代、そしてプロ入り後、活躍の理由――。 取材・構成=小林光男 写真=兼村竜介、BBM 
渡部聖弥[西武/外野手]
中井監督の“怖さ”
“渡部聖弥”という野球人の原点の場所は広陵高のグラウンドだという。小学校、中学校と重ねた野球経験が、広陵高で濃密に野球と向き合った結果、しっかりと固まった。自身の進むべき道がはっきりと視界に入り、大学以降、加速度的に成長を果たしていく。プロ1年目から渡部聖が存在感を示せているのは、高校3年間の取り組みがあったからこそ、だ。 ──高校時代の一番の思い出は何でしょうか。
渡部 とにかくしんどかったです。初めて親元を離れて寮生活になりましたから。上下関係や生活のマナーがあまり染みついていなかったので、覚えることが多くて。野球以前の問題です(笑)。半年ぐらいは慣れなかったですね。
──広陵高と言えば中井哲之監督。どのような存在でしたか。
渡部 当時は怖かったです。そう答えると見た目が怖いとか理不尽に怒鳴られるとか思われるかもしれませんが、怖さの種類が違う。自分が間違ったことをしていたら見抜かれてしまうのではないか、という怖さです。だから常に完璧にしなければいけないという怖さがありました。
──それは気が抜けないですね。
渡部 ただ、それでも中井先生には結構、かわいがっていただきました。1年生のときから体は強いけど硬かったので「柔軟せい」と言われて、食事後に中井先生の前で柔軟をやっていましたから。1年生の秋からは公式戦にも出ていたので、定期的に声を掛けてもらいました。3年生のときはある程度信頼していただいて、副キャプテンを任せてもらって。ティーバッティングでも常にトスを上げてくれていました。人柄を褒められたこともありましたね。「お前は優しいなあ」という感じで(笑)。
──広陵高は自主練習に重きを置いているそうですね。
渡部 そのおかげで考える力がすごくついたと思います。授業が終わったあと18時半くらいまで全体練習をやって、食事をとったらもう自主練習になりますから。自分がなぜ結果が出ているのか、または出ていないのか。常に考えながら練習に臨んでいました。考える習慣が身についたおかげで大学、プロでも同じように取り組めています。それは自分にとって、大きな強みだなと感じていますね。
──考える習慣は、例えば実際の打席ではどのように生かされていますか。
渡部 引っかけた打球や差し込まれてしまうことが多いとき、なぜそうなってしまうのか。しっかり頭で考えます。あとは特に3年生になって四番を打っていたんですけど・・・
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