新型コロナの感染拡大を受けて失われた5年前の甲子園、世代のトップを走っていたのは、間違いなくこの右腕だった。中京大中京のエースナンバーを背負って秋を無敗のまま駆け抜け、愛知県の独自大会では8試合を勝ち抜いて自己最速の154キロをマーク。あの夏、世代No.1投手はどんな気持ちで野球と向き合っていたのか。 取材・構成=牧野正 写真=榎本郁也、BBM 現実を受け入れてやるべきことに集中
愛知の強豪校・中京大中京は2019年秋の新チーム結成以降、秋季大会、東海大会、明治神宮大会を制して秋の日本一へと上り詰めた。その原動力となったのはプロ注目の右腕、エースの高橋宏斗だった。充実の布陣を誇ったチームは続く春のセンバツ、夏の選手権、さらに秋の国体を制す「4冠」の青写真を描いていたものの、新型コロナの感染拡大によってすべてが吹き飛んだ。高橋にとっても忘れられない夏となった。 ──夏の甲子園が開催されないと決まったとき、正直どんな気持ちでしたか。
高橋 そうなるだろうなと、ある程度の予想はついていたので、それほど大きなショックはなかったです。中止のニュースが流れたとき、号泣している高校球児のシーンを(テレビで)見たような気がしますが、自分はそこまで気持ちが乱れることはありませんでした。
──冷静に受け止めることができたということですか。
高橋 もちろん残念でしたし、全然ショックではないわけではなかったですが、逆に、この大変な状況の中で甲子園をやるというのもおかしいという気持ちもあったので。そこは意外と冷静でした。ショックの大きさで言うなら、春のセンバツ中止のほうが大きかったです。甲子園に出場できることが決まっていましたし、自分にとっても初めての甲子園ですごく楽しみにしていましたから。
──春に続いて夏の甲子園も中止となり、そこでどんなことを考え、何か取り組んだことなどはありましたか。
高橋 学校も休校になりましたし、チームで練習することもできませんでした。その現実をただ受け入れるしかありませんでしたが、そこで何もできないから何もしないでは何も始まらない。一日が淡々と過ぎていくのだけは嫌だったので、自分でできる練習をしました。兄も相手をしてくれましたし、そこでいろんなことを考え、また気づくこともありました。野球のこと、ピッチングのこと、これからのこと、いろいろ練習で試すこともできましたし、今振り返ればですけど、自分の中ではいい期間だったと思います。
──すぐに愛知でも独自大会の開催が決まりましたが、それについてはどんな気持ちでしたか。
高橋 うれしかったですね。すごく大きなモチベーションになりました。自分たちの代になって負けていませんでしたし(公式戦27連勝中)、だからこの大会も絶対に優勝しようと。自分だけでなく、チームの全員が「もし甲子園が開催されていれば自分たちが優勝していた」という気持ちだったと思います。それを証明する意味でも独自大会は優勝したかったですし、優勝しか狙っていませんでした。負けられないというか。そこはみんな同じ気持ちだったと思います。
──「もし甲子園が開催されていれば自分たちが……」ということですが、だからこそ中止の悔しさも大きかったのではありませんか。「なぜ自分たちの代にコロナ禍なんて……」みたいな。
高橋 いやもう、それ以上に・・・
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