甲子園で春、夏計9度の全国優勝を誇る大阪桐蔭が常勝軍団となる前、就任3年目の指揮官が「勝たなきゃいけないチームだった」と悔やむ2001年のチームには、最強の四番打者がいた。しかし、3年間で甲子園出場はなし。あのチームが聖地の土を踏んでいたら、歴史はまた変わっていたかもしれない。 文=谷上史朗 写真=BBM 
中村剛也[大阪桐蔭/現西武/内野手]
大阪桐蔭時代の中村は「ミート力に優れ、空振り三振もほとんど記憶にない」と西谷監督も絶賛する好打者だった
野球小僧集団のすさまじい四番
むせ返るような暑さが続いていた2025年夏。大阪大会が進む中で、西谷浩一監督とあの夏の話題になり、尋ねることがあった。もし、決勝で勝って甲子園に出場していたら……。これに指揮官の反応は早かった。
「大阪桐蔭の歴史もまた違ったものになっていたでしょうね」
さらに続いた。
「あのチームはこれまでで一番じゃないかというくらい練習もして野球が大好きな野球小僧の集まり。勝たしてやりたかったし、勝たなきゃいけないチームでした」
西谷が熱を込めたのは自身がまだ甲子園の舞台を知らない監督3年目、01年の夏を戦ったチームのこと。ここで四番を打っていたのが中村剛也だった。
当時の大阪桐蔭は1991年夏の甲子園初出場初優勝のド派手な全国制覇以降、甲子園に届きそうで届かない戦いを続けていた。その中・・・
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