週刊ベースボールONLINE

阪神優勝物語 歓喜のシーズンをPLAY BACK

<85&03&05&23の歓喜を知る男が語る阪神V>岡田彰布(阪神オーナー付顧問) さまざまな立場で味わった優勝「(23年は)一番震える優勝になった」

 

2リーグ制以降では昨年まで6度、セ・リーグの頂点に立っている阪神。そのうち4度の優勝に関わっているのが岡田彰布氏だ。選手として、コーチとして、監督として。さまざまな立場から味わった優勝の思い出を語る。
写真=BBM

1985年、選手会長だった岡田氏も胴上げされた


「強い!」のひと言よ。2025年シーズンのリーグ優勝は、まさに阪神の黄金期突入を表す「圧勝」やった。藤川(藤川球児)監督、おめでとう! 選手たちよ、よくやった! 9月7日の甲子園で行われた広島戦、2リーグ制以降、最速で決めた優勝だった。今シーズン、オレは阪神タイガースオーナー付顧問という立場で優勝を見届けた。フロントの一員として携われたV。考えればホンマ、オレはいろいろな立場で過去、優勝に関わってきた。

 1985年は選手で。2003年はコーチで。05年が監督として。そして長いブランクがあっての23年の優勝……。こんな経験をした人間は、阪神では初めてやないかな。今年の優勝を見ながら、オレは過去の「V物語」を思い出すのである。


【85年/選手会長として】投手陣を育てた打線


「機は熟した」と言っても長過ぎるやろ。それが正直な思いやった。阪神の最後の優勝が1964年。そこから20年以上か。期待されながら裏切り続けたチームが、やっと態勢を整えた。それが85年やったな。監督が吉田義男さんに代わり、戦略として大幅なコンバートに着手。オレはその真っただ中にいた。二塁へのコンバートとなり、入団6年目でホンマに燃え盛っていたわ。

 前の年のシーズンオフ、掛布(掛布雅之)さんから「選手会長」を受け継いだ。それもあってチームをまとめることに注力した。でも、そんなんは無理やった。とにかく個性派ばかりで、バラバラな感じやった。しかし、それがグラウンドでは変わるんよ。みんなが同じ方向を向く。これなら……と思ったわ。

 打つほうには自信があった。不安は投手やった。いくら打っても、それ以上に打たれる。そういうことを繰り返しながら、投手にある答えが舞い降りたわけよ。「辛抱してたら必ず打線が打ってくれる」。まさに打線が投手陣を育てたという典型的な形態やった。

 池田(池田親興)、リッチ・ゲイルが先発の軸で後ろに福間(福間納)さん、山本(山本和行)さん、中西(中西清起)がいた。これで勝ちを拾っていった。そのシーズン、チーム防御率がいくつだったと思います? 4.16です。今年(優勝時点)と比較すると2点の差があるわけで、打線はそれ以上に点を取ったということになる。

 チーム打率は.285。これは驚異的な数字やと思うし、さらに本塁打数よ。甲子園を本拠地にして219本。この先、破られぬ記録やと思うわ。

 途中で球団社長が飛行機事故で亡くなるという悲劇があったり、山あり谷ありのシーズンやったけど、それをファンが支えてくれた感じやった。大げさでなく日本列島がタイガースで揺れた……という現象が起こり、どこに行っても多くのファンで球場が埋まった。21年ぶりのリーグ優勝は神宮で決めた。ホッとしたというか、選手会長として責任を果たせたという思いに浸ったことを忘れないわ。

【03年/コーチとして】容赦なかった星野監督


 85年が「天国」なら、そこからすぐに「地獄」が待っていた。いわゆる暗黒時代に入る。オレも阪神を去り、オリックスに移籍。そこで現役を終えて指導者の道を歩むことになった。阪神に戻り、二軍監督のときに、チームは大改革に乗り出すことになった。それが野村克也さんから星野仙一さんへの監督交代やった。

 2001年のオフ、今でも忘れられないことがあった・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

特集記事

特集記事

著名選手から知る人ぞ知る選手まで多様なラインナップでお届けするインビューや対談、掘り下げ記事。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング