高校時代はエースで四番。投手として大学に入学も、あらゆる経験を糧に、両打ちの外野手として自身を高めてきた。高い水準で攻守走3拍子がそろい、背番号51は期待の表れ。落ち着きの中に向上心を燃やし、類まれな武器に磨きをかける。 文=相原礼以奈 写真=相原礼以奈(インタビュー)、矢野寿明 「やれる気」を持って広げてきた可能性
多くの期待を力に、一歩を踏み出す。
「広島のドライチ」となった運命のドラフト会議から約2週間後、平川蓮は母校の札幌国際情報高で教壇に立っていた。高校の保健体育の教員免許取得は大学進学時からの目標であり、その実現に必要な教育実習だ。教員の道を考えたのは、野球に打ち込む中で自身の学んだ打撃技術をもとに後輩に教えた経験から、教えるということに興味を持ったため。北海高野球部の監督を務め、春夏通算11回の甲子園出場に導いた父・敦さんの姿を見てきた影響も大きかったという。
自身の原点である母校で約3週間、授業を行い、部活動にも参加。最後には平川のプロでの活躍を後押ししようと激励会も開かれ、全校生徒の応援を受けた。
「学校祭のような雰囲気で……たくさん応援していただいて、活躍して恩返しをしたいと思いました」
大学入学当初はプロ入りへの強い意識はなかったものの、野手転向から両打ちへの挑戦、世代屈指の強打者として頭角を現す中で、「やるからには一番のレベルで野球がしたい」と志すようになった。教育実習を無事に終え、11月28日には札幌市内で球団と仮契約を締結。プロ入りへの実感をますます強くした。
「球団の方に『走攻守すべてにおいてアピールしてほしい』と言われました。これから頑張らないといけないなという気持ちが、一番強くあります」
大学には投手として入学も、高い身体能力を買われて大学1年夏から内野手に転向。もともと右打ちだが、高校2年時に右肘を痛めて左で打つようになっており、大学2年秋に攻撃のレパートリーを増やそうと両打ちに挑戦。そこからが飛躍の始まりだった・・・
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