2025年、2年ぶりにセ・リーグを制した猛虎の四番が、26年新年号の巻頭インタビューに登場だ。ほかを引き離しての最多本塁打、最多打点の初タイトルで2冠に。チーム独走の原動力となり、文句なしで初のリーグMVPを獲得。試合を決める打撃に、甲子園のファンは大熱狂。26年は球団初のリーグ連覇と25年に逃した3度目の日本一をつかみ取る。 取材・構成=椎屋博幸 写真=宮原和也、BBM 
2025年、レギュラーシーズン最終戦で40号に到達した。「40本塁打&102打点」は初の打撃タイトル2冠。2年ぶりのリーグ優勝に貢献し、満場一致でセ・リーグMVPに選出された[写真=宮原和也]
楽しんだ末の一発大台
阪神甲子園球場は右翼方向から左翼へ吹く浜風の影響により、左打者は本塁打が出にくいと言われる。生え抜きでは1985年の掛布雅之氏以来の40本塁打を達成。球団日本人打者でも2005年の金本知憲氏以来、20年ぶりとなる快挙を遂げた。「あと1本」から4試合足踏み。10月2日、ヤクルトとのレギュラーシーズン最終戦(最終戦甲子園)で、試行錯誤を経ての大台到達だった。40本塁打、102打点で、堂々の2冠である。 ──143試合目での40号。迎えた第3打席で、2ラン。両手を上げた「確信歩き」は印象的なシーンでした。
佐藤 ずっと打ちたかったので……最終戦までかかってしまいました。でも、一方では、最終戦で打てればいいや、という思いもあったんです。
──気負っていなかったのですね。
佐藤 気負ってないというよりも……それまではどうしても(40本塁打を)打ちたいという気持ちが強かったんです。それと同時に、その思いを抑えようとしていた。それが理由なのか全然打てなくて、最後の試合は、そういう気持ち自体も楽しんで臨もうと思っていました。
──大観衆の阪神ファンが期待する中で「楽しむ」という形に持っていくとは、すごいメンタルですね。
佐藤 この時点ですでに本塁打王と打点王のタイトルが決まっていましたから、だからこそ最終戦で、そう思えたのかもしれないです。
──さて、25年の第1号は
広島との開幕戦(マツダ広島)でした。シーズン最初の打席で、いきなりの2ランでした。
佐藤 あの本塁打で「今年は行けるだろう」となりました。オフからキャンプ、オープン戦にかけてやってきた取り組みの成果がいきなり出た。ここで、1年の方向性が決まった感じがありました。
──24年までから変えた部分、そしてオフに取り組んできたことは何でしょうか。
佐藤 打撃フォーム全体です。構え自体も変えました。インパクトの瞬間にいい型のフォームでコンタクトするため、逆算した形が25年の構えになっていったという流れです。
──アジャストする苦労はありましたか。
佐藤 自主トレ、キャンプでいろいろ考えてやっていました。どこでその型が固まったかというのは、ずっと手探りだったのですが、やはり開幕戦の第1打席での本塁打によって、決まったと思います。
──25年、一番の変化は何ですか。
佐藤 自分の中では下半身の使い方を大きく変えました。24年までは軸足の左足により重心を乗せて打つという感覚でした。それが25年は・・・
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