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2026背番号物語 誇り高きプロの象徴

【プロローグ】背番号「1」の輝き 背中に宿る魂 たかが背番号、されど背番号。

 

背番号は選手の顔であり、選手の誇りだ。そこにはチームの伝統と歴史があり、ファンの想いがある。なかでも背番号「1」は誰でも背負えるものではなく、チームで限られた者にしか与えられない特別な輝きを持つ番号。今号の背番号特集は「1」からスポットをあてる。
文=綱島理友(プロ野球意匠学研究家)

「1」と言えば、王貞治[巨人]だろう。誰もが知っている巨人の永久欠番だ


 野球に背番号が初めて導入されたのは20世紀前半の1929年。クリーブランド・インディアンスとニューヨーク・ヤンキースがスタンドから観客が選手を見分けやすくするために採用したのが最初だ。

 日本球界での採用は、その2年後の31年。春の甲子園の第8回選抜中等学校野球大会での使用が第一号と言われているが、この大会期間のみの使用で、あとが続かなかった。

 日本における本格的な背番号の導入は、同じ年の10月から始まった日米野球からと考えたほうが妥当ではないかと思う。米国からやって来たオールスターチームは、大リーグで普及し始めた背番号付きのユニフォームを着用して日本での試合に臨んだ。そしてそれを見た全日本も第6戦から背番号を導入する。日米野球はこの31年に続き34年にも開催され、現在のプロ野球誕生につながっていった。

1935年の大日本東京野球倶楽部[現巨人]の第一次アメリカ大遠征。背番号は日本らしさを出そうと漢数字を着用した。中央は市岡忠男総監督


 日本のプロ野球は戦前の創設時から背番号をつけていた。学生野球、アマチュア野球の導入は戦後しばらくしてから。かつて背番号にはプロのものというイメージもあった。

 そして個性あふれるプロ選手が着けてきたことで、あるときから背番号の数字にはパーソナリティが生まれた。

 例えば「18」は日本のエースナンバーに上りつめている。「11」から「19」も投手の番号という印象が強い。ただし「10」だけは打者の番号だったりする。「3」は人気選手の番号で、「51」は左の俊足好打の外野手、「44」や「55」にはスラッガーという印象がある。

 しかしなかには、ひとつのイメージに縛られない、多種多様な顔を持つ番号もある。

 その代表が「1」だ。

 まず思い浮かべるのは王貞治。言わずと知れた日本の誇る世界のホームラン王だ。しかし少し目を移すと、内野の名手、職人の番号という側面もある。高木守道山下大輔などの系譜だ。そしてさらに振り返ると、もともとは高校野球のエースナンバーだった事実も浮かぶ。投手も鈴木啓示野田浩司、など多士済々。ニューヨーク・ヤンキースの背番号「1」は永久欠番だが、その対象者は監督のビリー・マーチン。日本でも初めての監督就任時に現役時代の「23」ではなく「1」を着けた吉田義男など、背番号「1」の監督は何人かいる。戦前のプロ野球創設期ではチームの主将の番号でもあったし、戦後すぐの時代にはコーチが着けるケースも多かった。

 背番号「1」。その正体は何者なんだろう。
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