今から20年前、2006年3月に開催された第1回WBCでは日本代表の「先発三本柱」の一員として世界一に貢献したのが、当時ロッテのサブマリン・渡辺俊介投手。09年の第2回大会でも連覇のメンバー入りした氏に、当時の大会の思い出を語ってもらった。 取材・構成=落合修一 写真=BBM 
リリースポイントが地上からわずか5センチと言われた渡辺の投球スタイルは、世界的にも珍しかった
王監督が歩いてきた
──開催前、「WBC」という大会についてはどう思っていましたか。
渡辺 サッカーみたいなW杯が野球でも始まるのか、と。当時のロッテのボビー・バレンタイン監督も「日本の野球も世界で戦ったらどうだ」と話をしていたので、ついにそのときが来たんだなと思いましたね。ただ、本当に実現するのか。アメリカはトップレベルのメジャー・リーガーも出場するのか、半信半疑だったところはありましたが、個人的には社会人時代にプロアマ混成チームだったシドニー五輪の野球日本代表にアマ側の立場から参加しました。プロからは
松坂大輔(
西武)をはじめとしてトップレベルの選手がたくさん参加して、メダルは獲れるでしょうと世間から思われ、チームの中にもそういう空気があったのに悔しい思いをしました。僕は主力ではなくサポートメンバーに近い立場だったので、何もできなかった。だからもう一度、世界を相手に戦う場に出ていきたかったのです。
──WBCのメンバー入りは、どのように伝えられたのですか。
渡辺 王貞治監督(
ソフトバンク)から直接言われました。あれはシーズン中、マリンスタジアムでのソフトバンク戦の試合前練習のときだったと思います。確か、9月くらいですよ。
──2005年の9月なら、ソフトバンクとロッテの首位争いが佳境だった時期ですね。あの年は渡辺さんにとっても15勝4敗とキャリアハイの成績でした。
渡辺 ソフトバンクの打撃練習をダグアウトから見ているときでしたかね。王さんがこちらのベンチに歩いてきて「珍しいな」と思ったら僕の前で止まって、「渡辺君、WBCに出てくれないか。先発の柱として考えているんだ」と。
──王監督が直々に。
渡辺 もう「はい。出ます。絶対に出ます」と即答ですよね。王さんと直接話したのは初めてだったので驚きましたが、光栄でしたし、意気に感じましたよ。WBCメンバーの選考に入ってすぐ、(松坂)大輔と
上原浩治さん(
巨人)と僕にすぐに声をかけたらしいんですよ。この3人が先発3本柱みたいな考えだったんでしょうね。そのメンバーに自分が入っているんだ。これは死ぬ気で頑張ろうと思いました。野球選手として、本当に名誉というか、うれしいことでしたね。第1回の大会というのも面白いじゃないですか。
──05年は交流戦、今はないですがアジアシリーズも始まった年。前年の球界再編騒動を経て、新しいことがいろいろと始動しました。
渡辺 そうなんですよ。しかも、当時のマリーンズはバレンタイン監督だったこともあって、選手たちは新しいことを面白がっていたんですよね。それまで優勝の経験もない選手ばかりだったので、いろいろなことにわくわくし、楽しくでしょうがなかったのです。
──あの年の秋はプレーオフでソフトバンクを破ってリーグ優勝し、日本シリーズも勝って、その後はアジアシリーズが東京ドームで開催されました。長い秋でしたよね。
渡辺 その後のオフはプロに入ってから初めて、ほとんど休まずに毎日ボールを握っていましたね。シーズンが終わってからすぐにWBCの使用球に切り替えて、手に馴染むように12月もピッチングをしていました。05年シーズンが終わって、06年シーズンのことは考えずにWBCのことを考えていました。
あのイチローが同じチームにいる!
──あのときの日本代表には・・・
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