第1回WBCが開催されたのは2006年3月のことだった。ちょうど20年前、言わば“見切り発車”の形で始まった国際大会は、今や世代を超え、日本中の誰もが知る夢の舞台となった。それは日の丸を背負った選手たちが熱く、激しく戦い抜いた証しだろう。WBC特集の第1弾は、過去5大会の日本代表の戦いを振り返る。 文=鷲田康(スポーツジャーナリスト) 
20年の時を経て、WBCは日本の野球、その底力を世界へと知らしめる大会となり、東京ドームの風景も大きく変わった。写真は第5回大会の1次ラウンドの東京ドーム[写真=Getty Images]
日の丸の歴史は、わずか1万5869人の観衆の中から始まった。
2006年3月3日。第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の第1ラウンド。
王貞治監督(現
ソフトバンク球団会長)が率いる日本代表の歴史的初戦は中国との試合だった。
サッカーのワールドカップに比肩する野球の世界一を決める大会。そんな金看板とは裏腹に、当初の日米の野球関係者の受け止めは厳しいものだった。「メジャー・リーグ機構の金儲けのための大会」――そんな声も飛び交い、
ヤンキースの
松井秀喜ら日本代表も選手の出場辞退が続出した。第1ラウンドのチケットは売れ残り、初戦の観客は1万5869人。日本代表は、このやけに空席の目立った東京ドームでWBCの歴史の第一歩を踏み出したのである。
そんな期待とは裏腹な滑り出しだった日本代表だったが、アメリカに渡るとアメリカ戦でMLBの審判員による疑惑の判定などもあり、日本の野球ファンの応援熱が一気に盛り上がっていく。そしてチームが最後の最後に世界一に上り詰めたことで、WBCは一躍、日本の野球ファンにとって世界と戦う舞台へとなっていったのである。
原辰徳監督が率いた09年の第2回大会では、2大会連続で出場した
イチローの劇的決勝安打で宿敵・韓国を撃破して連覇を達成。日本野球の底力を世界へと轟かせることとなった。
そんな世界の舞台で躍動した日の丸戦士たちの姿が、日本球界に新しいエネルギーを注ぎ込んだのは紛れもない事実だ。
「あのイチローさんのヒットを見て、自分もいつかあの舞台に立ちたいと思った」
こう語ったのはドジャースの
大谷翔平だ。大谷だけではない。
山本由伸も
今永昇太も、
吉田正尚、
村上宗隆、
岡本和真も……09年の連覇達成から14年後、23年の第5回大会に出場した侍ジャパンのメンバーの多くは、当時は小学生や中学生だった。彼らは国際舞台で屈強なメジャー・リーガーと渡り合って連覇を果たした侍ジャパンの姿に、羨望の眼差しを注いでいたのである。
その憧れこそが、彼らを野球選手として育て、WBCの舞台へと導いていった。忘れもしない第5回大会のドラマチックな世界一への道程が、再び第2の大谷翔平を、山本由伸を育む日本野球のエナジーとなっているのである。
彼らの活躍が日本球界の躍進の原動力となって、野球人気の低迷、野球人口の減少に歯止めをかける、一つの力となっていることは疑いようがないだろう。
1万5869人から20年。あの静かなスタートは、やがて世代を超えた憧れとなり、WBCは日本の野球界を動かす大きな力となったのである。
そして今年――再び新たな物語が東京ドームから始まる。