1950年の球団創設から29年。セ・リーグで唯一、優勝経験のなかったチームが重い扉をこじ開けた。日々、勉強を重ね、就任3年目で結果を残した背景を自ら語る。 写真=BBM 
1976年のシーズン途中からヤクルトを指揮し、78年に悲願のリーグ優勝&日本一。後楽園球場で場内インタビューを受けた[78年の日本シリーズは東京六大学リーグ戦の日程により、主管試合は後楽園で開催]
原稿執筆で得たヒント
1976年シーズン途中、前任の
荒川博さんに代わるヤクルトの監督に任命されたとき、オーナーの松園尚巳さんに言われた。「私はトレードが嫌いだ。縁があってウチに入団した選手を育てて勝ってほしい」。この言葉は、あれから50年がたった今も忘れない。
当時のヤクルトは弱かった。セ・リーグで唯一リーグ優勝経験がない。シーズン終了が近づくとベンチではゴルフの話題ばかり。優勝など屁(へ)とも思っていないのだ。
こうしたチームの意識を変えるのは大変だった。「一生懸命やれ」と言うと「やっています」と答える。しかし、勝つために一生懸命やるのと個人の成績を上げるために一生懸命やるのとは違う。それを教える必要があった。
頭をよぎったのが、サン
ケイスポーツで運動部長を務めていた北川貞二郎さんの顔だった。私は66年に
巨人で現役を引退した後、評論家として同紙でお世話になっていた。基本的に評論家の原稿は担当の記者が聞き書きするものだが、私は自分で書かされた。締め切りが迫る中、何度も何度も書き直しを命じられ悪戦苦闘していると、北川さんに言われた。
「伝えたいことを4つも5つも詰め込んでいたら・・・
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