2004年、プロ野球選手会会長として、球界再編問題の矢面に立った。その後、現役捕手としての責務を果たしながら、監督としてチームを率いるという前例の少ない挑戦になった06年からの2年間。指揮を執り、自ら打席に向かう。その歩みは強い印象を残した。(文中一部敬称略) 文=菊田康彦 写真=BBM 
2007年10月7日の広島戦[神宮]での引退セレモニーで「また会いましょう!」とファンに別れを告げてから、すでに18年以上が経過した
2役を担う決断
「誰もができるチャンスではないので、両方で全力を尽くして期待に応えたい」
2005年10月18日。プロ16年目のシーズンを終えたばかりの
古田敦也は、球団からの監督就任要請を正式に受諾すると、集まっていた報道陣を前にそう話した。
両方。それは選手と監督、つまりプレーイングマネジャーとして二足のわらじを履くことを意味していた。
大学、社会人を経て25歳になる1990年にドラフト2位でプロ入りした古田は、この年から
ヤクルト監督に就任した
野村克也の下で瞬く間に正捕手として成長。92年から2001年にかけてのリーグ優勝5回、日本一4回を攻守両面で支え、自身もセ・リーグMVP、日本シリーズMVP各2回に輝くなど、日本一の捕手と呼ばれる存在となっていた。
その古田が世間から大きな脚光を浴びることになるのは04年。プロ野球が再編問題で揺れに揺れたときだった。この年、39歳の古田は日本プロ野球選手会会長として球団側との交渉で矢面に立ち、苦渋の末にストライキを決行するなど毅然(きぜん)とした態度を崩さなかった。結果的にこれがプロ野球の10球団1リーグ化を阻止し、12球団制存続につながったことで、そのリーダーシップは各方面から称賛された。
翌05年に社団法人・中央調査社が行った「人気スポーツ調査」の「最も好きなスポーツ選手」では、古田は前年の19位タイから9位タイに急上昇。これは国内の現役プロ野球選手では・・・
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