1982年、河合楽器からヤクルトに入団。91年まで在籍し、日本ハムに移籍した92年に現役引退。93年から昨年まで、さまざまな要職でスワローズを支えてきた。自身の2度の監督経験を踏まえ、携わってきた歴代指揮官の思い出を語ってもらった。 取材・構成=岡本朋祐 写真=BBM 
小川監督は就任1年目の2011年に2位。巨人とのクライマックスシリーズファーストステージを2勝1敗で、ファイナルステージへと駒を進めた[中日にアドバンテージを含む2勝4敗で敗退]
武上監督と同ルート
――1982年の入団からヤクルトには計43年在籍。2025年限りで、プロ野球の世界とは、一区切りになりました。
小川 よくここまで雇ってくれたなと思います。プロ入りして、まさかこの年齢まで44年間、プロ野球の世界に携われるとは、考えもしていませんでしたので。現役時代も大した実績があるわけではなく、本当にこれに関しては、出会った人すべてに感謝という思いしかないですね。
――離れてみて、いかがですか。
小川 まず(キャンプインする)2月1日、東京にいたことがなかったですからね。不思議な感覚。今回、女子野球チーム(ゴールドジム女子硬式野球部監督)とのご縁をいただき、基本的に週2回の練習、そして、試合を重ねています。これまでとは別分野ですが、勉強の日々です。
――さて、小川さんがヤクルト入団時の監督は、
武上四郎さんでした。
小川 僕は大学、社会人と武上さんと同じルートを歩んできたので、おそらく目にかけてくれていたと思うんです。年齢的にも悠長なことは言っていられませんので、一軍で結果を残さないといけない立場。厳しくもあり、愛情のある方でした。私は首脳陣や先輩に、相談とかするタイプではないんですが、一度だけ、結婚の報告をしたことがあるんです。遠征先で、勇気を振り絞って部屋に行ったんですよ。「お前、住まいは決まったのか。家賃はいくらだ?」と聞かれて。武上さんの中に一つの基準があったそうで、「お前はそんな身分じゃないんだから」と、年俸に見合った物件を探すようにアドバイスを受けました。『ケンカ四郎』と言われており、激しい人なのかな? と思ったんですけど、実際はそうではなかったです。
――小川さんが外野のレギュラーに定着した84年、開幕から18試合を終えて武上監督が休養。
中西太ヘッドコーチが代理監督も18試合を消化した時点で退任し、
土橋正幸投手コーチが代理監督となりました。
小川 その後、私も監督を経験していますが、指揮官とはチームの成績を背負わなくてはならない。やるのは選手じゃないですか。でも、チームを動かしていく上で指導力、マネジメント力が問われる。プロの世界で、これはもうやむを得ない現実であることを、目の当たりにしました。
――85年から土橋監督が率いるも、2年連続最下位と低迷の期間が続きます。
小川 土橋さんもある意味、厳しさと優しさが両極端だったという印象がすごく強いです。瞬間湯沸かし器ではないですけど、見逃しの三振でもしようものならものすごかったです。ボール球を振っての三振を含めて、厳しかったです。だから私とか広沢(
広沢克己)は常に怒られていましたね。一方で、キャンプ中の休日は選手と麻雀をやるぐらい距離が近かったんですけど、いざユニフォームを着ると、スイッチが入る方でした。
――87年からは
関根潤三監督が就任。テレビ解説でも温厚なイメージでしたが、実際はいかがでしたか。
小川 選手の性格というのをすごく見ていて・・・
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