週刊ベースボールONLINE

広島東洋カープ 助っ人列伝

広島OB・達川光男 歴代助っ人秘話 あのV戦士、語り継がれる乱闘……

 

広島に生まれ育ったファンのころに始まり、捕手として、コーチとして、監督として、そして解説者として広島の選手たちを見つめる達川氏。歴代、強いカープには、強い外国人選手がいた。往年の選手たちの素顔と、現チームと助っ人選手の理想の在り方を語る。
取材・構成=相原礼以奈 写真=BBM

長髪で風貌も印象的だったデュプリー。1980年の優勝にも貢献してくれたね


闘志を秘めた同僚たち


 12球団の中で、カープが助っ人の外国人を入れたのは最後くらいじゃないかな。当時、トニー・ゴンザレスだったかな、その選手を広島の街で見たとき、やっぱりいい体格してるなぁと。それから75年に初優勝したとき、私は大学2年生だったけど、優勝決定の巨人戦(後楽園)でホプキンスが最後(9回表)に3ランを打ったのはすごいなと思ったね。

 2年後に私がカープに入ったとき、ライトルエイドリアン・ギャレットが入団2年目だったよ。両方ともすごく温厚というか、ギャレットは本当に怒ったところを見たことない。ライトルはちょっときついとこもあったな。ライトルが一番声を荒げて怒ったのは、ホームランを2本くらい打っていた日、4回の途中か5回の表のもう少しで試合成立するところで中止になったとき。今でも覚えているよ。そのライトルが私に教えてくれたのはね、バーベルを持って、左の脇を強く締めて、手首を返す練習。彼は右投げ左打ちだったから。それを教わって、ずっとやってたよ。

 あとはコーチだけど、ブレイザー(1978年在籍)は目を掛けてくれたな。「君はレギュラーになれる」って言われたよ。古葉さん(古葉竹識監督)に結構推薦してくれよった。まだリードとかキャッチングが悪かったんで、ダメだったけど。

 次に来たのが、デュプリー。彼は面白かった。開幕戦でサヨナラホームランを打って、すごく喜んでたね。で、まあ言い方悪いけど、ほかの今までの外国人選手はやっぱりユニフォームの着こなしとかを気にしていたけど、デュプリーは少年野球とか草野球のおじさんみたいな格好してて、スパイクも磨かなかった。「おい、磨け」って言ったら、「どうせすぐ汚れるからもういい」っていう感じでね。次に来たアイルランドも面白い選手だった。守備は抜群にうまかった。そして日本語を覚えるのが早かったね。自分の家で玄米のご飯を自分で炊いて球場に持って来ていて、試合前にそれを食べていたのも覚えているよ。

 87年にホームラン王を獲ったR.ランスは、当時流行っていたCMの『タンスにゴン』いうのに掛けて、『ランスにゴン』って言われよった。確か.218しか打たんかったけど・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

特集記事

特集記事

著名選手から知る人ぞ知る選手まで多様なラインナップでお届けするインビューや対談、掘り下げ記事。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング