名手・吉田義男の跡を継いだ。人に教えないと言われた「今牛若丸」が自宅に招くなど、後継者として認めた遊撃手だった。二遊間とのコンビでも先輩たちに鍛えられ、スピードを上げていったという。球団初の2000安打達成の好打者でもあり、守備の名手でもある藤田平氏に、1960~80年代の阪神の二遊間について語ってもらった 取材・構成=椎屋博幸 写真=BBM 
阪神・藤田平[1966年〜84年]。遊撃手部門でダイヤモンドグラブを2度獲得。その守備力は吉田義男に徹底的に基礎を教わった賜物だった
キャッチボールは守備の足の運び投げ方に直結
私が高校から入団したときです。当時の藤本(藤本定義)監督がキャンプ中に二塁、三塁、遊撃のテストを私に課しました。でも、高卒1年目のシーズンで二塁は守りませんでしたね。三塁と遊撃を交互に守りました。1年目のときには、吉田(吉田義男)さんに自宅に招いてもらって食事をいただいたりしていました。
吉田さんは当時35歳くらいのベテランで、スカウトの人たちは後釜を探していた、とあとから聞きました。吉田さんは、後輩には一切、アドバイスなどはしないと聞いていたんです。でも、私の場合はキャンプのときからキャッチボールの相手をしてくれました。
とにかく吉田さんはキャッチボールを大事にされた方。私も「こういうふうにしたほうがいい」という助言をたくさんもらいました。キャッチボールは守備の基本だと言うのです。捕ってからすぐにボールを持ち替えることと、軸足となる右足の運び方、使い方も教わりました。守備練習のときもいろいろと教わりました。その中で・・・
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