V9がスタートした1965年に巨人に入団すると、現代のサウスポーの原型と言うべき投手へ成長を遂げ、先発陣に欠かすことができない存在となった。いつしか右のエース・堀内恒夫と並び立つ左腕となり、「左のエース」と呼ばれるようになっていった。 恩師たちに導かれ
のちにV9の「左のエース」と呼ばれることになる少年が伝統球団に入団したのは、奇しくも連覇が始まることになる1965年だった。
高橋一三は北川工高時代に甲子園出場はなかったものの、「左の怪腕」と注目された。ドラフト前夜だったこともあり近鉄との二重契約と騒がれたものの、自由獲得競争時代の最後の選手として巨人に入団。1年目から開幕一軍をつかんで初登板を果たすも、2試合目の登板となった北陸遠征、5月11日の
広島戦(兼六園)で4本塁打を浴びて6失点。即、二軍落ちとなる。「次の遠征が関西でみんなそっちに行くんだけど、僕だけ反対方向の東京に」と苦笑いを浮かべて振り返ったが、結果的に二軍で汗を流すことになったのは悪いことではなかった。同じ年に移籍してきた
金田正一が、左肘痛のリハビリで二軍に来ていたからだ。
金田にはかわいがられ、多くのことを学んだ。自宅を訪れて食事をごちそうになり、ボールの握り方を教わったわけではなかったが、練習方法のアドバイスをもらった。体は硬く、いかり肩が特徴だったものの、「もっと柔らかくしないとダメだぞ」と諭された。
制球難はなかなか克服することができず・・・
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