巨人のサウスポーの源流をたどると、この男にたどり着く。荒れ球ながら2度のノーノーを成し遂げた怪腕。引退後は二軍監督やコーチとして黄金期を支えた。選手と二軍監督、コーチとして接していたV9エースの堀内恒夫氏が、伝説の左腕の素顔を明かす。 写真=BBM 
球団の歴代左腕ではトップの通算209勝を挙げた大投手だった
四球連発でノーノー
巨人伝説のサウスポーといえば、400勝投手の
金田正一さんと、俺とともにV9時代をけん引した
高橋一三さん、この2人の名前がまず頭に浮かぶのではないだろうか。
ところが、もう1人、
中尾碩志さんの存在を忘れてはならない。中尾さんはプロ野球の黎明期に活躍した巨人のサウスポーだった。1939年から57年まで在籍16年間で、通算209勝127敗、防御率2.48の好成績をマーク。20勝以上の勝ち星をマークすること3回。最多勝利1回、最優秀防御率1回、
沢村栄治賞1回に輝き、当時タイトルではなかったが最多奪三振も2回と、数々のタイトルを獲得している。
中尾さんは沢村さんと同じ旧制京都商業出身で、入団時から左右の違いこそあれ、「沢村二世」と呼ばれていた。巨人の生え抜き投手で、通算200勝以上を挙げているのは、俺と中尾さんの2人しかいない。まさに“伝説のサウスポー”と呼ぶにふさわしい大投手だった。
中尾さんが現役を引退してから9年後に入団した俺は、中尾さんが投げている姿は一度も見たことがない。だが、側聞によれば、入団時の中尾さんの球はめっぽう速いが、制球には難があったとされている。大きなカーブが持ち味だったが、四球を連発していた。2度のノーヒットノーランを成し遂げているが、その中で最初のノーヒットノーラン(39年11月3日、対セネタース)は、信じられないことに10個の四球を与えながら記録を達成している。
とにかく、どこへ行くのか分からない制球力には不安定な要素があったということ。そんな中尾さんも、晩年になるとベテランにふさわしい制球力を身に付けたという。
中尾さんが入団したころの・・・
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