1995年1月の阪神・淡路大震災でオリックスの本拠地・神戸は大打撃を受けた中で、復興に向けて市民を鼓舞した。その象徴の一人がイチローだった。そしてこの年に契約した助っ人2人のスラッガーたちもまた、打の中心として支え、連覇に導いた。まさに復興のもう一つの象徴的存在であった。 文=水次祥子(スポーツライター) 写真=BBM 「がんばろうKOBE」。
チームとファンが結束し快進撃を続けた戦いの中で、間違いなく大きな役割を果たしたのが2人の外国人、トロイ・ニールとD・Jことダグ・ジェニングスだった。
ニールは来日直前まで所属したアスレチックスで、本塁打王に4度輝いたマーク・マグワイアと中軸を組み、四番も打ったスラッガー。「本物のメジャーの四番」と鳴り物入りでオリックスに入団し、1年目の1995年からそのパワーを発揮してダイエーの
小久保裕紀と本塁打王を争った。1本差の27本で2位だったが、まさに頼れる助っ人だった。
D・Jのほうは、来日前年はマイナー生活を送っていたもののメジャー5年の経験を引っ提げて来日。1年目の95年8月8日から9日にかけて当時のプロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打を放ち、7、8月に2カ月連続で月間MVPに選ばれる活躍で期待に応えた。2年目の96年9月23日にはグリーンスタジアム神戸で行われたリーグ優勝のかかる
日本ハム戦で、9回裏二死で代打出場して同点本塁打を放ち、延長10回のイチローのサヨナラ打につなげて優勝の立役者の1人となった。
「あの同点ホームランは一生忘れられない、自分にとって最高の一打だった。神戸の復興を願いながらファンと選手がひとつになり、目標に向かっていた時期だったから、なおさらだった。それまでに経験したこともない感情の高ぶりがあった」
あの日本一から19年後の2015年に、D・Jはそう語っている。現役引退後にフロリダ半島南部の町で打撃指導の仕事をしていたD・Jを訪ねたときのことだ。懐かしの外国人選手のその後を追うという企画で、取材を申し込むと快く引き受けてくれ、思い出話を聞かせてくれた。
阪神・淡路大震災が起こった1月17日、すでに前年11月にオリックスとの契約を結んでいたD・Jは、日本へ渡るためアメリカの自宅で荷造りをしている最中だった。これから自分の拠点となる街の大きな被害をテレビで見たときは驚いたが・・・
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