
阪急の優勝に関して「ニシモトがオレのパーセンテージ野球を理解したからだ」とも語っていたという
あふれる闘争心
西本幸雄監督の下、1967年に球団創設32年目で初優勝を飾った阪急。“灰色の時代”と言われる長く続いた低迷期から一転、黄金時代を突き進んでいくことになるが、西本政権下2年目の64年に来日した
スペンサーが果たした役割も大きかった。
ジャイアンツやカージナルスなどメジャーで10年プレーし、通算105本塁打を放った好打者。すでに35歳となっていたが身長190cmという体格もあり、来日1年目でいきなり36本塁打をマーク。さらに走塁では“殺人スライディング”で相手の野手を吹っ飛ばして「怪物」「怪人スペンサー」などと呼ばれた。
65年には
野村克也(南海)と本塁打王を争った。だが、ラフプレーで・・・
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