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北の大地に初の栄冠 2006ファイターズ日本一

【スペシャル対談】小笠原道大×稲葉篤紀が語る日本ハム日本一 2006年「ファイターズらしさ」の結実

 

2006年のリーグ優勝、日本一を語るうえで欠かせない存在だ。ここぞという場面でのインパクトある打撃で、日本シリーズMVPを獲得した稲葉篤紀氏。本塁打王、打点王の2冠に輝き、パ・リーグのMVPに輝いた小笠原道大氏。主軸として野手陣をけん引してきた二人が見たチームの強さは、一体どんなところにあったのか。20年が経った今年、当時のチームの様子について、あらためて振り返りながら語り合った。
取材・構成=前田恵 写真=桜井ひとし

小笠原道大、稲葉篤紀[右]


ファンの応援スタイル


──2006年日本一の要因を、まずは「北海道」と「ファン」をテーマに振り返っていただけますか。

小笠原 北海道は、もともと巨人ファンが圧倒的に多い地域。東京時代にも何度か道内で試合をしていましたが、大げさに言うと、スタンドには知り合いしかほぼ来ないような感じで(笑)。選手が街を歩いても、だいたい気付かれない。そんな中での移転でした。

稲葉 僕が(ヤクルトから)移籍した05年は、北海道移転2年目。ファイターズが徐々に定着しつつあるときでしたね。

小笠原 移転が決まったときから、球団職員の皆さんが足を使って道内を回り、地道に基盤をつくってくれた。おかげで、次第にファイターズを身近に感じてもらえるようになりました。ただ、いかんせん勝てなかった。1年目はポストシーズンで西武に負けて悔しい思いをして……。

稲葉 05年は5位、Bクラスに落ちてしまったからね。

小笠原 そこは私の責任なんです(苦笑)。

稲葉 そう、ガッツの責任……かな(笑)。

小笠原 ホームランは37本打ったんだけど、3割打てなくて負けました(苦笑)。

稲葉 でも05年は、ファンの皆さんもよくスタンドを盛り上げてくれましたよ。それがあっての、06年。チームが勝つにつれ、お客さんもどんどん増えていきました。「勝てば、人は来る」をあらためて実感しましたね。ところで当時の札幌ドームって、手作りボードを掲げているファンが多かったよね。あれはパ・リーグ特有なの、それとも北海道特有なの?

小笠原 手作りのイラストボードは、あのころ北海道で多かった印象ですね。

稲葉 ガッツの「イルカ」とかね。

小笠原 あれは東京時代からなんですよ。最初は「クジラ」だったのが、北海道に来てから100円ショップなどで手軽に買うことができる「イルカ」が一気に広がったんです。

稲葉 バナナ好きのセギノールは、「バナナ」で応援してもらっていたよね(笑)。

小笠原 ファンの皆さんが、いろいろ工夫して盛り上げてくれましたね。

──そこに、「稲葉ジャンプ」も加わったわけですね。

小笠原 あれはねえ、ものすごく揺れるんですよ。バックスクリーンのカメラが揺れるから、テレビを見てると酔うんです(笑)。

稲葉 テレビ見てないじゃない、だいたい塁にいたじゃない(笑)。

小笠原 いや、凡退してベンチ裏でモニターを見ていると、画面が上下に揺れていて「あれ、地震!?」って思うんですよ。でも、自分は揺れていない(笑)。それぐらいの迫力でね。ファンと選手が一体となって、球場の雰囲気を変える、今も語り草の応援でしたね。

バランスの良い選手層


──05、06年は、「チームとしての成長」も大いに見られた時期でした。

小笠原 若い選手がなかなか結果を出せず、少し萎縮していた感があったんですよ。そこを稲葉さんと・・・

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