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北の大地に初の栄冠 2006ファイターズ日本一

【岩本賢一氏が語るトレイ・ヒルマンの人物像】日本ハムを日本一へ導いた“柔軟な指揮官”の素顔

 

外国人監督として、日本ハムをリーグ優勝、日本一に導き、北海道のファンを大いに沸かせたトレイ・ヒルマン監督。優勝するためのチームづくりを施し、ファンを虜にした指揮官は、一体どんな人物だったのか。就任当時から専属通訳を務めた岩本賢一氏に、振り返ってもらった。
取材・文=多田まりや 写真=BBM

プレーオフを制し、リーグ優勝を決めたインタビューでの一枚。写真右がヒルマン監督の専属通訳を務めた岩本氏


穏やかな指揮官


「今でも自分が履歴書にどんなことを書いたか覚えています」

 岩本賢一氏がトレイ・ヒルマン監督の専属通訳を務めるきっかけは、メッツの通訳をしていた2002年のこと。日本ハムが岩本氏の故郷・北海道に移転することを新聞記事で知った。どんな仕事でも構わない。どうしてもその一員になりたい一心で履歴書を書き、球団へ問い合わせた。タイミング良く球団は新たに就任する外国人監督の通訳を探しており、面接を経て、晴れて専属通訳として日本ハムに採用された。

 初めてヒルマン監督と会ったのは02年11月、千葉県鴨川市での秋季キャンプが終わった後だった。

「第一印象は、とても穏やかな人です。監督のイメージは、強いリーダーシップを発揮していて、ちょっと偉そうな人かなと思っていましたが、真逆のタイプの方でしたね」

 その際にヒルマン監督が力説した「本当に野球を愛し、新しいチームをみんなでつくっていくことに思いを馳(は)せられる人たちと戦いたい」という思いは、岩本氏の心に強く残っているという。

 ヒルマン監督は、選手のためになると思ったこと、考えたことを頭の中で描いただけで終わらせず、実際に行動に移した。

 翌年2月の沖縄県名護市での春季キャンプでは、ウエート・トレーニング場が砂だらけであれば、選手が来る前に一人で掃除をした。ほかにも、監督室のドアは常に開け、とにかく気軽に、遠慮なく監督室に入ってきて、選手が思っていることや言いたいことが、いつでも話せるような環境をつくっていた。試合前の練習時も、自ら積極的に動き回り、いろいろな選手と言葉を交わした。

「最初は私もそこについていきましたが、そのうちに私はついていかなくなりましたね」。言葉の壁がある中でも、ヒルマン監督自身がコミュニケーションを図っていた。

 それら一つひとつの行動が、監督としてタクトを振るう上で、選手たちの心も惹きつけた。だからこそ、最終的にヒルマン監督が下した決断を、ナインは受け入れられた。

「選手たちの結束力を高めることがヒルマン氏のキャラクター、監督としてのスタンスに結びついていたというのは、ありますね」

柔軟に受け入れる姿勢


 そしてそれは、戦い方の変化にも直結する。

「振り返ってみると顕著でしたね。アメリカと日本、お互いのいいところを融合させてチームをつくる、というコンセプトが、最初から明確でした」

 その一方で・・・

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