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温故知新の球場物語 追憶のスタジアム

【球場の記憶】若菜嘉晴が語る セパ4球団を渡り歩いて分かった球場ごとの魅力

 

強気のリードと球史に残る強肩を武器に現役生活20年。福岡県出身でプロ生活のスタートは地元の西鉄ライオンズだった。そこから阪神、大洋、日本ハムで活躍。勝負強い打撃も光った。数えきれないほどの球場でプレーし、その思い出も尽きない。
取材・構成=牧野正 写真=BBM

平和台球場で汗を流すクラウンライター時代の若菜嘉晴


愛着ある平和台球場


 地元が福岡なので親父の影響もあって子どものころから西鉄ファン。親父に連れられて平和台球場によく観戦に行きました。中西太さん、稲尾和久さんが見たくてね。球場の近くまでチンチン電車(路面電車)が走っていて、球場の隣りにはまだ裁判所がありました。左翼スタンド後方に大きな木があって、そこに上って見ている人もいましたよ。地元の柳川商高へ進み、高校球児にとっては甲子園球場が聖地ですけど、僕ら地元の高校球児にとっては平和台球場も聖地。県大会の予選決勝はここが舞台ですから。まさか自分がプロに入って、ここでプレーするなんて思いもしませんでしたけど。

 プロになってたくさんの球場でプレーしましたけど、思い入れはやっぱり平和台球場が一番です。初本塁打(1976年8月1日/南海戦)がここですし、初めてのオールスターゲーム出場(77年第1戦)もここで初打席でホームラン。ただ一塁を回るときに王さん(王貞治巨人)はいなくてライトを守っていました。それはよく覚えています。オールスターの舞台が平和台球場ということで、上田監督(上田利治、阪急監督)から推薦してもらっての初選出でしたが、僕が福本豊さん(阪急)を刺したりしていたこともあって選んでくれたのだと思います。

 球場名物は「丸天うどん」。丸い天ぷらが入っていて、「ホームランうどん」とも言われていました。お客さんにも人気で、相手球団の選手も平和台に試合に来ると必ず食堂で注文していました。ちなみに東京スタジアムの名物はミックスジュース。都会の味がしたもんですよ(笑)。関西の野次も強烈でしたが、平和台もひどかった。ある選手に「おまえのせいでいったんなくなった!」としつこく野次るお客さんがいたんですけど・・・

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