1985年の日本一以降、猛虎ファンに大きな期待をかけられながら低迷期に入る。その中でも必死に勝利をつかむために腕を振り続けたサウスポーたちがいた。 文=寺尾博和(日刊スポーツ) 写真=BBM 仲田幸司・92年快進撃を支えたエース

92年にスライダーとスクリューボールを覚え、投球の幅を広げたことでエースとして優勝争いに貢献した
マイク仲田こと、
仲田幸司が輝いたのは、1992年だ。アメリカ・ネバダ州生まれ。アメリカ名がマイケル・フィリップ・ピーターソンだったので「マイク」と呼ばれた。
プロ9年目のこの年は35試合登板のうち13完投で、14勝12敗1分け、防御率2.53で、最多奪三振のタイトルも獲得する。新庄(
新庄剛志)、亀山(
亀山努)フィーバーで激しい優勝争いを演じたチームの大黒柱としてフル回転した。
それまでは87年の8勝(11敗)が最高成績、91年は1勝(7敗)止まりで、高知・安芸の秋季キャンプに参加した。
「自分では来年もあかんかったらクビやなと思っていました。それまで鳴かず飛ばずだったので危機感があった」
マイク仲田が覚醒した要因はさまざまだが、本人にとって大きかったのはラッキーゾーンが撤廃されたことだろう。91年オフに工事が行われ、92年シーズンから姿を消した。
「甲子園からラッキーゾーンがなくなって、球場が広くなったから大胆な投球ができるようになった。捕手の山田(
山田勝彦)も攻めの配球をしてくれて、大胆に右打者のふところに投げることができた」
それに真っすぐとカーブの組み立てだったが・・・
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